角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

我もダブスタ彼もダブスタ

 
えーと私は、電話を受けるのは別に構わないけど、かけるのがなかなか嫌いだ。声とか口調というのは、本人が思う以上に微妙なニュアンスを確実に伝えると思うので、ちくちくと気持ちに棘が刺さるような目には合いたくない。
 
先日、蕎麦店の店長に電話を入れて物件の話をしたいから時間がとれますかと聞いたら、とれないと言う。もちろん営業が午前中だけだったりして物理的に無理だったのだけれど、なんとなくそれ以上の感じを感じて、今週中に行く予定だったけれど、迷い中。
店長は、私の技術と経験の不足を知っているから、何もできない人間がスケルトン店舗だなんてと心中おだやかでないようだ。

店長が軽く不機嫌なのは私が唐突に行くのをやめたせいもある思う。頼んできてもらってるわけじゃないから、好きなようにしていい、という意味のことを言われたけれど、洗い場的には十二分にあてにされていた。私は私で勉強させてもらっていると思うかげでいろいろなことを考えなかったといえば嘘になる。
お互いのさまざまな思惑にもかかわらず、ある種の共犯者意識のようなもので人間関係は保全されているのかもしれない。私は長くいると厨房のいろいろに麻痺していきそうでこわくなった。
  
私ごときの開業については、クラスメートに話しても先生方に話しても同じような反応があるのではないかと思う。
 
専門学校を卒業すると、若い学生のほとんどは飲食関係に就職し、そこから何年も経験を積んでやっと意思のある人が自分の店を持つ。技術や意欲があってもなかなか持てない人だっている。
だから私のような技術も経験もない人間が、あっという間に開業するというのは本当にむかつく以外の何物でもないだろう。先生方にすれば、今まで教えたこととは何の関連もない、たとえば小揚げを焼くとかあるいは竹輪を揚げるだけとか、料理とよべないようなことでナリワイしようとすることに心からがっかりするだろう。それは本当に申し訳ないと思う。
 
店を持ちたいとか修行をしてるとか、そういう段階では、すごいね、えらいねと持ち上げて、いざ実行度合いが現実味をおびてくると、むかつかれるというのも面白い。
  
味方がひとりもいない。もう笑っちゃう。頼みの綱であったM先生はリハビリで夏までかかるらしく連絡はとれていない。
 
せめて自分の仕事に自信があればいいんだけど、これはきっといつまでも持てない。
雑誌に特集されていた、女性がやっている小料理屋の写真はどれも美味しそうできれいで、私にできそうなことなんか何一つなかった。