角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

朝の雨。

 

多分今まで一度も書いたことがないと思うけれど、私、茄子が好きです。小さいのも大きいのも長いのも全部好きです。

そんなことはさておき、案の定、基礎英語は続かなくてやめちゃった。私は本当にわがままなので、簡単だと簡単すぎるといい、難しいと難しくて分からないというから、ちょうど良いところを探せない。出かけるときもああでもないこうでもないと鏡の前でいらいらして、結局出かけること自体をやめたりするので、なんかもう、自分を持て余す。
  
 
散歩にいくのも飽きた。というか、私がもし結婚をしていたなら、一番したいことのひとつは夫との散歩だ。夫婦ですることなんて、散歩とご飯だけでいいと私は思う、心から。買い物だって二人では面倒くさくて嫌だ。いちいち二人ですることと違う。ような気がする。
 
年配のご夫婦が朝、散歩なさっているのを見ると、いいなあと思う。たまたま見つけたコーヒー店で朝食をとったりすると、それだけで一日中幸福なような気がする。別に私は結婚生活に不適合なほど悪しき性向はないはずだけれど、なんとなく不運が重なって、そういう静かな歴史を育んでこれなかった。
 
 
散歩マシーンと化して、いろいろなことが分かった。公園の池に魚がいることを知った。一日に5回魚影をみた。同じ魚が周回しているのかもしれないけど。リスはあちこちにいる。公園にも植物園にも美術館の木立にもいる。生き物の気配というのはすごくいい。何か、感じるところがあって顔をあげると、かなり遠くからリスがこちらを見ていたりする。それだけであたたかな気持ちになる。私はリスがそこにいることを誰にも言わない。リスも私のことを誰にも言わない。あたたかな無言を共有する。散歩相手がいたら、そこはどうなんだろう、どうリスと対峙するのだろう。
 
私は死ぬまでに一度でいいから、あなたと散歩をしたいと願った。途中、テイクアウトのコーヒーを買ったりして、一生分の話をしたかもしれない。けれど、それが私を幸福にするとはとても思えない。かなわなくてかなしく、かなってもかなしいに違いない。
 
 
あしたの朝、雨が降らなかったら散歩に行こう。