角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

カーテンを開けて眠る。

 

2日くらい前に、古い知り合いから連絡がきて、珈琲をご馳走になる。
この人は、日記になんどか登場しているけれど、私が事務所を借りていたときに、飛び込み営業をかけてきたデータ会社の人だ。もちろん私は即座に、けんもほろろに、にべもなく、とりつくしまなく、木で鼻をくくるように、いろいろお断りするのだけれど、全く意に介さずに何度もやってきて、しまいには仲良くなってしまった営業マンだ。
 
この私と仲良くできるなんて本当に不思議だ。営業マンとして一流なのかもしれない。
その人がその会社をやめてから7か月ばかり遊んで、この7月から新たな会社に通い始めた。それで以前の関係者に少しずつ連絡をとって挨拶をしているのだと言う。とても陽気な人に変貌していたので、今までよほど辛かったのだろうなと気がついた。
彼が、ハローワークに何度も通ううちに、担当の人が、とっておきの話として、市内のある神社の左側の狛犬のお尻を撫でると希望が適うと言う話をしてくれたそうだ。そしてそれを実行して、今のところに採用が決まったのだと言う。
だから私にも神社に行ってみたら、と言うのだけれど。
 
どう考えても、私のどんな希望を掌に込めていいのか分からなかった。一体自分がどうなったら幸福になるのか私は分からないので、どんなご利益があろうとも行くことができないのだ。
 
そんなだから私はといえば、地味に、ものすごく嫌な思いをしばしばしている。いちいちそういうことは今書かないし、悔しさにめらめらと燃えあがったり、怒りをバネにしたりもしない。

 
さておき、話題の会計の話で思い出した。
ギャラ社には、決算処理のみの年1のお付き合いで、公認会計士事務所がついている。
今はもう12期目に入っているが、よくあの内容で決算の形を作れたものだ、プロというのはすごいものだと当初は感心した。 
 


外は満月だ。

猫も月を見るんだろうか。月を見て水を思うというのも可笑しいけれど、まだ泳ぐことができなかったとき、水の中で足を滑らせて水上に顔を出せなかったりするととても慌てる。落ち着きを失くすと、してはいけないような動作をしてますます苦しくなったりする。普通に立てば顔のでるプールで、何をそんなに慌てるかというと、水中で態勢をくずしたときに思うように立てなくて、それは浮力がある、つまり足が浮かんでくるから立ちにくいのだけれど、それを「沈む」と誤解して慌ててしまう。
陸の上でも、たいていの場合、じたばたしない方が、焦らない方が、良いのだと思う。内実はじりじりしたり、ネガティブになったり、動悸がしたりするけれど、ここはひとつ、焦ったからといって好結果にむすぶわけでもないし、第一「好結果のイメージ」すら持てないうちは何をやっても無駄だ。
 
私が息子に、たくさん遊びなさいと言ってきたのは、もちろん人生が短いせいもあるけれど、遊びの中から発想が生まれると思うからだ。
私も例えば2者択一の考えしか思い浮かばなくてどちらも優れているとはいいかねるときとか、まるで関係のない動作、料理をつくるとか、散歩を極めるとかの予期しないときにふいに第三の案が浮かんだりするので、そういうのをとても大切に思っている。
 
満月の時は、カーテンを開けて眠る。