角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

散歩マシーン。

 

先日、早朝営業のカフェで朝食をとった。そんな時間に結構な年配の男女がデートというか何というか分からないけれど、すでに珈琲を飲んでいて、たっぷり話をし終わって、じゃあねと言って店を出たのが多分8時前だったと思う。
 
そういうお付き合いもなかなか楽しそうでいいなと思った。薄暗い街を百鬼よろしくそぞろ歩いたりするのも若い時なら二次目的みたいのがあって楽しかったのかもしれないけれど、お酒を飲まない自分にとっては早朝デートの方が楽しめそうだ。まあ相手がいないからどうでもいいことだけど。
 
今日はそのお店に昼過ぎに行った。私は暇になると散歩マシーンと化すので、手始めにお気に入りのパン屋さんでパンを買い、それを円山公園で食し、その足で珈琲を飲みに行ったのだ。カフェの真向かいに、店のときに時々仕入ていた個人商店があるので、帰りに寄った。道産のルバーブを見つけたので、帰宅後ジャム作り。
 
最近、懐かしい人からの電話が相次いだ。ハヤちゃんは元代理店にいた人で、これから定期的に生存確認しなきゃだね~という話になった。彼もまた独り起業の人なのだけれど、頑張らなきゃいけないんだけど、なかなか頑張れないと言う。その気持ちは実に良く分かる、頑張る力が湧いてこないのだ。
 
便利屋さんからも久々に連絡がきた。健康診断を受けているかと聞くので否と答えると、いかなければだめだと強い口調で言われた。
 
書いたかどうか忘れたけど、腱鞘炎はある程度積極的な緩和策を施さなくてはいけないので、ストレッチくらいはしようと考えている。
 
ギャラ社の彼女からは全く連絡がこない。私事ではなくて目下の決算のことで確認事項をメールしても返事を寄こさないので、そういうのは本当にどうかと思う。私は別に喧嘩をしたわけではなくてただ単に決別しようとしているだけなので、仕事は淡々とこなしたいのだけれど。なぜそのように感情的になるのか私は分からない。私がやめたところで困ることなんかないはずだ。友人と思っていたのに裏切られた、というようなメールを一度送って寄こしたけれど、それに返事はしていない。裏切るとは何なのかも分からないし、友人とは考えていなかったし。

彼女は自分自身のことを指して「本音でしか生きられない」から、私のような二重性格が理解できないと憤慨していた。そういうことは大きな声で先に言ったもん勝ちなところがあるので、いやだなあと思った。
 
第一、それは嘘だと思う。本音で生きるとか、正義感が強いとか言う人間は大体逆である場合が多いような気がしている。
 
別に彼女のことは、嫌いではないし、私の方は全く普通に今まで同様に話はできるけれど、恐らく彼女はできないんだろう。それで今風の言葉でいうと絶縁することになる。それは仕方がないので仕方がない。
 
それとギャラリー仕事を通して再確認したことは、値札のついた展覧会では購入する客が良い客だということ。
なので私は迂闊にあちこちのギャラリーを見て回るようなことはしないでおこうと決めた。理解や、あるいは好きであることと、購買は一緒くたにされていいことだと私は思わないけれど世間的にはたいていのものやことが貨幣価値を介在させたり、人的優劣すら経済力頼みのようなことがあって、世の中全体の尺度がそれでしかないのは楽しくない。

今後のことはおぼろげには頭の中にある。それはギャラ社の用事が全部すっかり済んでから考える。