角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

ハングの周辺

 
雪の降る夢を見ていた。んじゃないかと思うくらいに、春はいつも唐突だ。
 
なんだかはっきりしない仕事が膨大にある。ギャラ社は人が足りないので仕事量が多く、かつ突発的な事件も起きがちなので、午前中の時間を全部そこにとられたりする。膨大な量を誰がどうこなすのかというと、遅々として進まず着手せず、困り切って私が召喚されるというわけだ。
できることならば困り切る前に仕事計画をたてていただきたいものだ。
たぶん今までは、あのスーパーなMさんが心を砕いて精力的に仕事をこなしていたのだろう。
 
で、着手されていないどのような仕事が存在するのか皆目分からない私を残し、しゅふさんは早退するのだった。小学生は春休みに入る。
 
あたりまえだけれど、どのしゅふも同じだとは思ってないし、しゅふさんが駄目すぎるというわけでもないし、しゅふさんを嫌っているわけでもない。
 
ただ、なぜ急ぎ&大量&面倒な仕事に誰も着手していないのかが不思議なのだ。そしてなぜ自分の仕事であるという自覚と責任を持てないのか私は分からない。
別に怒ってはいない。仕事に対する意識の持ち方が人によって様々なので興味津津といった方がいいかもしれない。
 
上着を脱いで椅子の背にかけると、するりとすべり落ちたので、膝の上においてちょっと急ぎの案件を片付けようとしていると、しゅふさんが、ハンガーにかけましょうか、というので、その発想はなかった、と私は驚き、面倒なのでご辞退申し上げたにもかかわらず、ハンガーを遠くから持ってきて私から上着をとりあげていったのだった。
まるでそれは主婦としての振る舞いかくあるべしとでもいうような、それこそが大事というような厳かな雰囲気だったので、反省した。
 
そういうことを意に介さずに、膝の上で丸めたりして、とにかく仕事を、という私は、主婦としては認定されないだろう。私は配慮のない駄目主婦にしかなれないだろうと思った。
 
私が今まさに参照している書類に手を伸ばしてきて、ホチキスでとめなきゃと、カチャリとしたりするのもそういう主婦意識の高さからなのだと思う。
 
ほっといていただきたく願う。どうかひとつ。
 
結局私が残業するはめになって、帰りにCさんが鍋をご馳走してくれた。いつもこの人とは鍋を食べてしまう、昔はネギマの友だった。
 
彼女は私にギャラリーにも出てほしいという。オーナーのような顔をして、なりきっていいからと。そうすると、しゅふさんの居場所がなくなる。大体、自分が面接しておいて、やっぱり駄目だというのはしゅふさんの問題ではない。
  
 
私はとてもハングリーだ。5月の連休のあとに、行きたいところがあって今日はずいぶん考えた。チケットを買おうかどうか逡巡して、結局買わなかったくらいに。
さて、どうするかな。
なぜ行きたいか、意味を考え始めるとだめなんだろう。意味なんか何一つわからなくても行きたいから行く、それだけでいいのに、なぜ行きたいかと考えることは行けないことの言い訳だ。