角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

第二。


委託を受けて1月4日から、つまり年明けと同時に着手していた案件が漸く昨日、完UPした。
今度ばかりは期日内に完遂ができないのではと危ぶんだが、無事納品した。そのせいで母の死に目に会えなかった。だから独りの仕事を選んだということは、自分にも母にも覚悟を強いていたということだろう。
 
面白くもないけれど、ちょっと仕事のことを書いておこうと思う。
 
あと10日足らずで今いる事務所を出る。
4月から夜間の学校に通うことを決めていたので、自分の体力を考え、自宅事務所にしようと考えたからだ。
 
学校については機会があれば書くけど、自宅事務所はなにしろ楽なので今以上に健康的な暮らしができると考えていた。
 
私は、かなり以前、大所帯のお客様社の中の一坪ショップのようなスペースにいて、譬えは悪いけれど「入れ食い状態」で仕事をしていたことがあったが、その時代からの知り合いが、同じ会社の人間と二人で新会社を起こし、私ひとりの机を置くくらいのスペースはあるという。起業するのは前から知っていたし、話し合いにも実は参加したりしていたので、発起人にもなった。
 
で、自宅事務所はとりやめにして、駅近くの事務所に移動することにした。
 
仕事自体が薄くなったので、自分のひとり法人を清算して個人の事業に戻ろうかと考えていたけれど、そちらの会社との兼ね合いだとか既存顧客のフォローだとかを考えると、このままの方が都合がいいようなので、法人を存続させることにした。
自分としては、いつ清算しても無問題だし、フットワークを軽く、小さくしたい気持ちがあるから、法人には全く固執していないけれど。
 
新会社には発起人として少ない金額を出資した。
みんなの、なけなしの資金を資本にしたので、当分、新会社は給与を支給できないから、私は当面、新会社の正式な社員ではなく、専属外注社みたいな感じで同室することになった。もちろん新会社の名刺はもたせてもらい、チーフプランナーの肩書ももらった。
 
あはははははは。
 
と、笑うところでもないんだけど、やはりそれは可笑しい。
 
だから自分の独り会社と、新会社のプランナーと2枚名刺で仕事をすることになり、夜はとっとと学校に通う。
 
何が一番大切かというと、学校だ。なぜなら学校は18か月分の費用を全額前払いしたのだし、好きなことだし、今までやってきた自分の仕事がそんなに目に見えて誰かの役に立ったり誰かに喜んでもらったりするものではないことを私は知ってる。
 
一番笑っちゃうのは、新会社が何の会社が良くわからないことだ。どうやら販促企画、広告関連の「何でもやります会社」のようだけれど、事業計画とか、ビジネスモデルとか、何もないので、私は正直、何かとってもうまくいく、ような気はしていない。
 
特に役員になったお二人とは友人というわけでもないけれど、私は、呼んでくれたところに行く人間だ。それも時の運だろう、くらいに考えている。第一、仕事は友人とするものでもなく、好きな人間とするものでもない、というのを私は本当によく理解している。これは絶対だ。
 
出資している、にも関わらず会社が思うように回らなかったとしても、私は地代家賃を支払ってそこに居させてもらうわけではないから、出資金を、自社が支払うべき家賃だと諦められる程度に長居すれば良いのだと思う。
 
私は実力以上の力は発揮できないし、学校が終わるまではなおさらに、ゆるやかに働きたいし、それは宣言しているから、何となくちょうどいいかもしれない。
 
社是として頑張りすぎないと言っていたから、そんな緩さで、ごつい収入を得ようと思う方がおかしい。
だからちょっと生活苦がはじまるかもしれないけど、私は学校に通えればそれでいいと思う。
 
だいたい、プランナーって、(笑)
 
今日は、登記終了後初めての企画会議で、私は自分の仕事を中抜けして出席したのだけれど、代表者ふたりに、強い影響力を与えているのは事実上、旧い会社のカリスマ社長で、何か新しい肩書すらついていて、ご出席なさったのだった。想定外に遭遇してしまい、私はちょっと苦手なんだけど、まあ、乗りかかった船。
お神酒なんかもいただいて、その流れで5時前から居酒屋で祝杯となった。うん、そういうのは酷く苦手。断り切れなかったし。第一飲めないし。
 
私以外の登場人物が3人になってしまい、平均年齢は否応なしにあがったけれど、この人たちはお互いに人間的に好き同士な関係で今までやってきたようだが、私は全くもう全くそんなわけではないから、カリスマ氏はその後の私が、どんな年のとりかたをしたか、値踏む気持もあったと思うけど、当時と変わらず相変わらず少女のような子供のような感じがそのままであると言われた。はははははは。
大体そんなことを言われることが多いんだけど、私は、少女5、6人前くらいの年なんだし、愛想も愛嬌も色気も気配りも、なあんにもないということなので、慙愧に堪えないのだ。実は。
 
ほかの女性ならば、優美な手つき、しなやかな腰付きで舞うようなところ、私はラジオ体操なのだ。
わたしのいちばんかなしいところに触れるのだった。
 
仕事が一段落するので、学校がはじまるまでは自分の個人的春休みにしようと考えていて、それまで新会社には出社しない算段でいたけれど、3月中に来いと言われたので、ますますかなしくなった。それでも旅行には行くチーフプランナー(笑)。