角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

いよいよ冷蔵庫が。

 

ゆうべ、いよいよ冷蔵庫の音が大きく、夏場の開放時ゆえ近隣に迷惑がかかってはいけないと思い、電源を切ることを決意した。自分も眠れそうになかったし。
多数の食材が犠牲になった。今日は救えそうなものは片っ端から佃煮にしたりなんだりと救助作戦を試みた。
 
バターは買って封を切ってないのがあったので、それは気の毒だから、あの青いクーラーボックスに氷と一緒に閉じ込めた。
 
生まれた時から家に冷蔵庫があった時代ではないし、一体いつから冷蔵庫が家にあるのか思い出せないけれど、冷蔵庫のない生活は結構不便だ。第一いきなりのことだから覚悟ができていない。
水を張ったボールにトマトを入れた。有難いことに、少し長く蛇口を開放すると、夏でも水は冷たい。
 
もうただの箱になった古い冷蔵庫を拭いたり、動かしたりして掃除をすると午後が深くなった。
 
じめじめした天気が続き、うっとうしいけれど、昨日、首回りを知事公館で虫に刺されたらしく何箇所か赤くなっているので恥ずかしくて、プールにはいかない。
 
毎日時間がいっぱいあるので、例の基礎英語に着手したけれど、どうして私はこれが嫌いなんだろう。もう本当に嫌いだ。今までだって一週間と続いたことがないのだ。でもほとんどあらゆる関連情報には、これが絶対に良いと書いてあるから仕方がなくストリーミングを聞いたりするけれど、本当に自分にはつまらなくてたまらない。こういう学習スタイルが嫌いなんだと思う。というか「学習」が嫌いなのか。may be。
 
ネットのどこかに、大人になってから英語学習をしている人が嫌い、という記事があったけれど、これは笑った。大きなお世話だ。フランス語ならいいのかと。
 
実は私は何の得意科目もなかったけれど、ちゅうがっこうに入った時から英語は好きだった。ビートルズ世代だし。高校でも好きだった。英文科には行かなかったけど大学でも好きだった。大学受験は英語と国語だけで点数を稼いだと思う。
何十年も前のことを書くのは気が引けるけれど、高校の時、教科書とは関係なく出題される英語の模擬試験があって、それは二年生と三年生が全く同じ問題で受けた。一応進学校だったのでいちいち試験結果は貼り出されていて、その時は二年生の私が三年生をさしおいてトップだったので、少し有名人になったことがある。
まあそんな茶番をこなして、いわゆる10年間英語を学校で習い、良い成績をおさめ、それでいて一口も話せないというような問題が現実にあるわけだ。
 
私はこれが情けなくて情けなくてたまらない。ネット上のちょっとした単語レベルチェックの問題などは今でもなかなかだ。でも、私は一口も話すことができない。そんな機会もない。自宅警備だから日本語だって話す機会もほとんどないんだし。
 
若い時はご多分に漏れず英会話スクールに通ったこともある。それも本当にどれも呆れるほどつまらなくて続かない。英語ってスクールで学ぶものではないんじゃないかと思う。だから、まさかの基礎英語なのだけれど、これは文法なんかほぼ忘れた頭に回路再生を願う試みなのだけれど、私は自分がなぜ話せないのかを分かっている。モチベーション云々の話ではなく、私には話したいことがないからだ。
 
東南アジアに英語留学、なんて楽しい響きの企画もあるけれど、話したいために行く、というのはなんだか自分の行動としては違うと思う。私なら行きたいから行くとか、暮す、とかが先にくるはずだ。
 
それにしても、キソ英語~♪の何が面白くないと私は思っているんだろう。15分を3本聞くと、たいてい最後はうとうとしてしまう。だから本日のノルマを私はまだ果していない。できるかなあ。
 
私は別に何になろうともしていないので、ただ自分の好きだったことくらいは、少しレベルアップしてもいいかなと考えているだけです。ボケ防止的にもいいような気がします。