角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

私のさかな。

 

実を言うと、お風呂に入る時間すらなかった。これはちょっと気持ちのありようが少しおかしくなる。
 
終了後に厨房の後始末と清掃をし、自宅に戻ってから布巾類の洗濯をして、翌日の作り物を決める。その時点で考えあぐねるともう、パソコンに向かいながら眠ってしまい、深夜になる。起きてすぐに満足な朝食もとらずに出かける。昼に銀行に行きがてら自宅にもどりホームページを更新したり、メニュー表をプリントするために、満足な昼食もとらずにパソコンに向かう。正確にはパソ前ごはんだ。それから仮眠をとっても20分足らずで再び店に向かう。
そんな生活を1週間ばかりも続けるとさすがに何もかもどうでもいいような気になった。

人から、献立はそんなに毎日変える必要がないと言われ、気がついた。日替りであることにこだわって毎日何種も新たに作るとロスはでるものの、時間はかかるものの、何一つ良いことがなかったのだ。で、まずはやたらと作らないことにして、そうすると仕込み時間があまりかからないから、出を遅くした。昼頃、銀行によってから出ても十分だったので本当に当事者というのは簡単なことに気づけないものだと思った。それでまとまった睡眠時間や、朝シャワーの時間もとれ、気持ちは半端なく楽になった。
 
お品書きの構成を変更するつもりでいる。そんなにたくさんのアイテムは要らないし、毎日めまぐるしく総入れ替えする必要もない。そのあたりの構成は、手伝いに行ってた蕎麦店がとても上手なので見倣うつもり。もしかしたら昼営業も数量限定的、数量のあるときだけ、のようなやり方ならできるかもしれない。

いずれにせよ、自分は眠りたがりなので一件落着だ。食餌的にはまだ難があるけれど。
食事と睡眠が満たされれば、気力も充実するのではないだろうか。
 
お客さまが来ないので、何か宣伝活動をしようかとも考えたけれど、あと少なくともひと月は、このままの態勢を続行することに決めた。
先日の日記では随分と情けないことを書いたけれど、店で悶々としているときに、ちょうどスマホで聞いてた楽曲がLife is very short, and there's no time・・・と歌って、ああそうかと思った。
きっとこんな風にうまくいかなくて困り果てることだって、楽しさのひとつの要素なんだと。どんなに困難なことであっても、それで命まではとられないし、そういう時間や状況すら楽しめばいいのではないかと考えた。さいわい、本当に幸いなことは、困難に飽き飽きするくらい困難を極めたとしても、それが何十年も続くわけではなくて、そこそこのところで私は終末を迎えるので、それをわたくしたちの世代の特権と言わずになんというのだ。まるで、エイズの潜伏期間の間に寿命がつきるというような話に似ている。

それで私は短兵急に顧客を増やす広報活動をしないことに決めた。その間に、卵を焼く練習だとか、魚を捌く練習だとかを地道にこなせばいい。大赤字とか、知ったことではないし。私は借金は絶対にしないと決めているので、それは絶対にしない。

どうでもいいけど今、you tubeでDon't let me downを流している。とりわけ好きな曲のひとつだ。Don’t you know it’s gonna last.


そういえば先日、デートもどきで行った店はBeatlesの全CDを揃えていて、店主は私より先輩世代だけれど、話が盛り上がった。店の名前もそれでそうつけたのだと言われ、一瞬ポカンとしたけれど、不意打ちを食らった気がした。店の名前は自音といった。

頻繁に更新できないので書きたいことがたくさんあるので散漫を極めるけれど、私のことを接客下手だとみんなが言い、それで終わるけれど、その意味をみんなは知らないんだと思う。私は分かっていて、やっぱり接客は苦手だなと思う。理由というのは、私は自分が主役になりたいタイプだからだと思う。きっとそうなんだと思う。だから人を立てたりできないんだろう。セルフィッシュの極みなんだ。