角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

雨の夜。

 
ここだけの話だけれど、お祝いにいただくアレンジメント花は後にかなりの困り物になった。花はいずれにしても枯れていくけれど、花を挿す緑色の物体が重く水を含み、触るとぐずぐずと崩れだし、なかなかに厄介だった。
おまけにラッピングの、紙ではない素材だとか、思いがけないところにある支柱など異種素材があり、花材にしても茎の固い丈の長い素材や、立派な小枝なども異形であったりして、人にはお贈りしないことに決めるくらい、当初の美しさからは想像もつかないようなお荷物になったのだった。
 
花屋さんで、自店でつくった作品かどうかに関わらず、そっくりそのまま回収サービス事業なんてのができれば本当にありがたいことだ。どうせお金を払って捨てるのだし。
 
事業用のゴミ処理代金は、家庭用に比べてかなり高額であるため、植物関係はリデュースっていうか、自宅で枯れさせて捨てることを考え、大きな段ボール箱につめて雨っぽい深夜にゴミを持って家に帰ったのは、楽しくなかった。
 
だから、知人の慶事には、お祝いは何がいいかと聞いて差し上げるのが一番の親切かと思う。あるいはアレンジメントでなくて鉢ものにするとか。私も、聞いてくれた人には鉢植えがいいとお答えしたし、もっと親しい人には、率直に日本手ぬぐいが欲しいと言った。
  
  
 
店がはじまって、最も嬉しかったことは、開業前には全く関心を見せず、店の場所すらも知らなかった息子が、時々後始末を手伝ってくれることだ。
仕事が終わったあとで、回転すしの清掃バイトをしていると前に書いたけれど、バイトをしなければ凌げない研究者の位置付けというのはさておき、バイトのせいでクレンリネスの考え方も知っているし、何よりもどんなことからも学んだり考えたりする姿勢がいいと思う。
はかせなのに(笑)、彼は生ゴミに触れたりもできる人間だ。それは「生ゴミ」を考えることができるということだろう。さっき切ったばかりの魚のしっぽと玉ねぎの皮が一緒になっただけで嫌悪感を覚えるのは穢れの概念があるからなのだそうだ。私は、自分の育て方、なんてものは特になかったけど、そういう育ち方をしたのはとても有り難いことだと思う。
 
夕べも大雨の中を11時頃にやってきて、深夜の1時過ぎに、雨の中を二人で帰った。私は胸がいっぱいになって、どんぐりをちょっと蹴ってコロコロさせた。