角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

やっぱりおうちがこいしいと

 
木のベンチにあたってカツンといい、舗道の敷石にあたってはコンといって、それからやはりどんぐりはコロコロするのだった。行き帰りに通る大学病院の遊歩道では今を盛りとコロコロしている。池はないので、泥鰌が困ることもない。
私は丸いものが好きだし、木の実・草の実もとてもいいと思うので、風ののちのどんぐりの吹き溜まりなどは本当に楽しい。
 
私はやはり、一番作り甲斐があるのは家庭での料理だとしみじみ思った。必ず食べてくれるのだろうし、喜びそうなものだって分かる。だから食事のない家は家庭ではないのだと思った。愛情というのは後入れ先出しだ。一番おいしそうなところ、一番あたらしそうなものを食べさせたいと思う。けれど、商売は先入れ先出しだ。おうちのごはんに敵うものなどない。けれど、なかなかそれが実現されないでいる実態とのギャップの中、不条理のうちに私の店はある。
  
 
一般営業開始の日の一番目のお客さまが、曲折の果てに挫折した会社のシャチョーだった。シャチョーは、割烹ではないし、かといってこてこての田舎料理の店でもないから、こういう類の店はあまりないと言ってくれた。零細店はニッチに生きるのが良いのだと自分は考える。
 
季節の旬のイクラは、シャチョーがお好きなのを知っていたから、大盛りサービスにした。とても喜んでくれた。イクラは召し上がった人全員が、どういうわけか皆「ちょうどいい」という言葉で誉めてくれたので、とても嬉しい。インパクトがある美味しさというのは、最後には嫌味にもなりかねないけれど、ちょうどいい、のはちょうどいいのだ。私は自分の一番好きな味に仕上げているので、本当に美味しい。いつかあの人に召し上がっていただければと思う。その時は後入れ先出だ。いい加減私もしつこい。でも、原点がブレてはいけない。
  
   
開店祝いの花をたくさんいただいてしまい、自分にこんなに知人がいたなんて、と驚いたほどだ。立て続けに花屋さんがきたりすると、こちらは手が離せないのでちらりと送り主を納品書で確認する。その中で全く心当たりのない、知らない名前の人がいた。
おもむろに住所を見ると、すすきのの店の住所が書かれていたので、そういえば私は、ようこさんの苗字を知らなかったのだ。
ようこさんが自筆メッセージを入れて可愛らしいピンクのガーベラやトルコききょうのアレンジメントを贈ってくれたのだった。たった1週間しかいなかった私のために。それが一番嬉しい花になった。