角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

 
スペードの出し過ぎ。という言葉があったけど。
 
知り合いが蝶の絵を描く。
サトキマダラヒカゲはスペードの3だ。コスモスの花にとまるヒメアカタテハはハートの8だ。
ミヤマシロチョウはハートの4。描いた蝶でトランプを作った。
 
トランプは56枚あった。
 
私は一年に一度もトランプを使うことがない。トランプを束ねた紙をちぎってトランプを広げて読んで数えた。もう二度と箱をあけることがないかもしれない。
 
私は、縦のものを横にし、横にしたものを移動させ、移動させてから縦にして、再び縦のものを横にした。自分の背丈よりずっと高い本棚を横にすると棚受けの金属ダボがパラパラとこぼれておちた。強いにわか雨だ。
 
トランプは、どこにしまうといいのだろう。トランプのしまい場所を見つけられずにいる。
書棚なのか抽斗なのかキャビネなのか押し入れなのか納戸なのか台所なのか下駄箱なのか私は分からない。二度と開けない箱はどこに置けばいいんだ。
 
トランプの置き場所ひとつ分からずにyou tubeを見る。
 
たまたま見つけた斉藤和義を開く。ポストにマヨネーズが当時すごく好きだったけど、顔をみたのは初めてだ。ジーンズの後ろ姿がえらくカッコイイ。映像は2009年アップのものだ。この人が2011年にはずっとウソだったと唄い、ロケンロールはこうぢゃなきゃ、と受けたんだろう。斉藤和義には何のうらみもないけれど、それはちょっと自分にはだめだった。私は俄か無垢と何度か書いたので、これからも事ある毎に引っ張り出すかもしれない。
久々に吉川晃司を見たときは、こんなにうまく年齢を重ねた人も珍しいんじゃないかと思った。モニカのころは全然興味を持てなかったんだけど。で、このひとが、歌は無力だとか言って、みんなに交じって瓦礫撤去作業をしていたという話を読んだ。それで、ドクターコトーだったか、医龍だったか、ちょっと覚えていないけど、寝る暇もないような臨床医に、研究医が、自分は研究成果をあげることによって、もっと多くの人を救っている、みたいなことを言うシーンがあったのを思い出した。1対1と1対多のようなタイプがあるのかもしれない。
 
とりあえずトランプはキーボードの前に置いたけど、私は二度と箱を開けない。捨てることもできない。
 
3月も暮れるというのに執拗に雪が降った。事務所の引越しをした。積み込みが済んで電気を消した部屋で、水っぽい雪降りにみとれていると、人がきた。
ご飯に誘われた。今まで何度か「ご飯でも」という話はあったけど、私は毎日ご飯を食べているので別にいいかな、とスル―していて、引っ越すことを伝えてあったとはいえ、まさかわざわざではないと思うが、そんなタイミングで登場したので、困ったなあと思う。多少の義理もあるから1回くらいは実現させた方がいいのかもしれない。多分20歳くらい年下の人なので、気を回すこともないと思うけど。もうひとりは8つくらい下の友人づきあいの長い人なんだけど、母のことがあってから、唐突に悲しくなるようなことがあったら夜中でもいいから電話を寄越せ、馳せ参じるからと言ってくれた。別に、そんな時は電話でいいと思うし、第一唐突に悲しくなったって、私は電話をしたりしない。是非良い友人のままでいたいと思う。
 
人生最後のモテ期には、ほんの少し死にたくなるだるさがある。誠実にしようと考えたら頭が痛くなってきたので、旅を理由にうやむやにする気満々になった。不誠実な女なんだろう。nは1だ。