角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

亀のろく走る、

 

私は、政治のことは全く知らないけれど、ひとつだけ分かったことがあって、政治の人が、ご意見を言うときは必ず「しっかり」という言葉を使うということだ。私はテレビをほとんど見ないのであまり大きなことは言えないけれど、ここのところ数カ月間では見る人見る人100%「しっかり」という言葉を遣った。
 
私が以前、数字を使う仕事をしていたとき、あ、今でも数字は全部使うんだけど、レポートの中では絶対に「しっかり」とかそういう単語は使わなかった。しっかりしろとは言われるけど。
 
だから何だってことじゃないけど、ずうっと気がついていたので、どっかに書かなきゃと思ってただけ。
 
こないだ読んだネットの記事には、論理的思考は異常な状態、とか書いてあって、とても嬉しかった。走ってる状態なんだそうだ。時代が論理的思考スキルの向上を要求したところで全ての人がランナーになれるわけでもないとも書いてあった。
 
前から、論理的ってのが唯一の最高な振る舞いではないと考えていて、それはビジネスとか社会生活の便宜や利得のために共有するルール決めの方法なんだろうと思っていた。
だから論理的ではないと、責められる意味が分からない。気持の話や色の話がどうして論理の俎上に置かれるのか分からない。たとえば、すんごい好き、とかいうことを、どこがなぜ、みたいに説明できるんなら逆に、ああいうところがこう、という条件合致で逆行っていうか、それにあてはまれば好き、ってことにならないのかな。
 
説明が空しいのではなくて、情緒のことを論理の言葉で語ろうとすることが不毛なんだと、ちょっと思う。縦の言葉と横の言葉ってわけじゃないから、そういう対比で捉えるのが違うと思うし、だからそんなにうまく噛み合うこともないんじゃないだろか。
 
自分について蛇足すると、「私、考えたんだけど」と話した時「ほんとに考えたのか」と突っ込みを入れられてたし、私がぼーっとしていると、母は「下手な考え休むに似たり」と必ず言った。
先日は「私、考えたんだけど」と言うと、即座に「考えるな」と言った人間もいたので、誰もかれも余程私にはものを考えさせたくないようなので、おかげさまで、私は何も考えない。

去年よりもおととしよりも私は空っぽになった。
おまけに今日は、仕事メールにそっこーで対応したら、これまたそっこーで電話がきて、「人のいうことを何も聞いてないな」と嗤われたので、もういいやと思った。

今日が、仕事以外は、なあんにもしたくない日だったのは、多分、円形脱毛症になった夢のせいだと思う。ときどきこの手の夢を見るので、起きてからおそるおそる触ってみた。
 
髪の毛があることが分かったので、少し切ってこようと思います。