角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

いよいよ冬。

 
風もついていたのだろう。ベランダまでが真っ白だった。相当な雪が夜のうちに積もっただけではまだ足りず、終日、雪降りだった。
 
パソコン屋さんのゴミ箱に入ったメールはサルベージされたらしく、「かしこまりました」と返事がきた。
かしこまるくらいなら、普通にメールが届くようにしてほしいものだ。
同時に、BTOのノートパソコンも発注した。2台はリスクを回避するためにもやはり必要だ。
 
もう、なるようにしかならない。いつだってそうだけれど。
 
前の仕事に戻るのなら、専門学校に通ったことや、iさんたちと過ごしたことや、蕎麦店で修行したことも、開店したことも、全部無駄なことだったのかもしれない。けれど遠回りや回り道や寄り道こそが、いろどりや陰影となって人生を豊かにするのだ。
 
と、くやしまぎれに書いてみる。
 
 
言葉を忘れるほどの孤独、というharuka nakamuraの紹介記事を偶然見つけた。とても良く意味が分かった。曲には惹かれるものがある。
 
 
私は自分の声を忘れてしまう。
 
声帯も筋肉なので、使わないと老化するらしい。大切に温存しているつもりが傷を深くしているようで申し訳ないと思った。温存しているというよりは、孤独なだけなのだけれど。
 
何か発声しなくてはいけない。
沈黙がすっかり染みついてしまい、たまに喧騒の中にいたとしても、自分だけが沈黙していることに気が付く。あたためられてもあたたまっても、すぐに、冷たさが戻ってくるようだ。
私はどんよりと悲しくなる。ひびのこづえ展は昨日で終了した。私はその良さが分からなかった。きっと私だけが分からないのだと思うと、私だけが取り残されて、あたたかな作品に心動かされず冷ややかな沈黙のままでいるのだと思うと、悲しくなった。
 
私は遠回りや回り道のみちのりで、あるいは感性を失くしたのではないだろうか。やわらかな感覚神経をすり減らすような生き方をしてきたのではないだろうか。
  
あのね、私は、腐る方が本物だと思うの。