角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

研修があった。

 

本日は、9時5時で研修。母体が大きいのであちこちの施設から最近就労した人たちが集まった。
 
面白かった部分もあるけれど、午後にはつい眠ってしまった。10分間の小休憩のときに眠くてたまらず、そのまま真剣に眠ってしまい、次の講義が始まったのに気付かなかった。担当女性に肩を叩かれて大丈夫ですかと囁かれて目がさめた。昼寝の目覚めはさっぱりとしていい。

今朝、夢の中でかつ丼と天丼にするかどうか迷った末、天丼を選び、どこで食べようかと場所を探しているさなかに目が覚めてしまったので、できれば夢の続きを見たかったのだけれど。
  
いや、いい年をして本当に申し訳ありません。
 
組織や団体が大きくなると、プロジェクトや委員会がたくさんできあがったり、それに伴ってマニュアルや、報告様式や印刷物が過大になり、肝心の、ここでいえば福祉サービスを受ける人、なんていうのかな受益者かな、に対応するところから少しく離れてしまうのではないかと思った。それ以外の内部的作業でがんじがらめになる様子が見て取れた。
学校の先生などもかなりそういうことで忙しいと何かで読んだけれど、本末転倒、あるいは主客転倒的な、無駄が無駄を呼ぶ系のことを私は本気でバカバカしいと考えてしまう。仕事環境を良くしようとするあまりに逆に締め付けが発生して窮屈なルールだらけになるのは不思議だ。
 
理念だとか、そういうのも単純明快なもの一つか二つでいいんじゃないだろうか。ルールは少ないに限ると思うし。「思いやりを持とう」とかいうような極めて曖昧な文言をスローガンにするのは間違いだ。スローガンとか目標というのは、そういう訳の分かんないことではなくて、誰がやっても同じにできること、具体的なことがらにすべきだと私は考える。
 
それと気がついたのは「ご利用者」という言葉に統一されていることだった。利用者ではいけないのか。患者ではいけないのか。無駄に丁寧な言葉は異常だと私は思う方だ。
 
今回の研修の報告書を簡単に書いて提出する義務があるけれど、まさかこんなことは書かないので、あたりさわりなく真面目に書いておくつもり。現在の仕事は一生懸命に真面目にこなすけれど、それ以上はしない。自分が働きたいこと、働けることと、どこにでも土足で入り込んでいくことは違う。若い人たちを尊重しなくてはいけないからだ。だからこの職場は最長で65歳の3月に終了する。あ、まだですけどね~。