角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

新しい仕事。

 

私は、自分の考えが正しいとは全く思っていないし、優れているとも思っていないので、なかなか書けなかった。
 
仕事は、嘱託職員身分で、ホームの調理補助が決まり、6日間出勤した。昨日と今日は休み。曜日が分からなくなってしまった。
 
自分の時間割は、早番と遅番のシフトを繰り返す。早番の時間は700-1150、遅い日は1340-1830。エンドが延長することはないけれど、30分くらいは早く出ることが慣例として行われている。多分全員が調理師または栄養士であり、飲食業界の常で完全なピラミッド構造で動く。当然自分は最低職階だ。いつまでも。
 
調理員が食事を作り、調理補助はあくまでも補助領域を出ない。永遠に出ない。時間給は絶対に昇給しないと書面で渡された。雑用ロボットのごとく、早く正確にこなすことを期待される部門だ。
 
どこでも似たり寄ったりだと思うけれど、食器洗浄・清掃・ゴミ捨て・配膳準備・盛り付けとその周辺作業に終始し、極めて速やかに仕事を覚えることを要求される。しかしながら膨大な細かい作業ルール・内容と、日々の例外処理の多さから、実状は一人で動けるようになるまで何カ月も、あるいは1年も要すると想定される。私は今週中に一人になる日がすでにシフトで決まっているけれど、恐ろしさのあまり消え入りたくなる。
 
食事を提供する時間は厳守なので、とにかく忙しく常に小走りでいる。いちいちその場でメモをとったり、じっくり分かるまで聞く、ということはできない。
 
飲食の現場はひたすらこわいものだ。全員が女性であるけれど、怒声が容赦なくとんでくる。毎日違う人とペアで、数日間は仕事を教えてくれるけれど、お互いに動いているからなかなか網羅しきれないこともあるだろうし、各人のやり方が違うため、体系づけて自分のやり方をつくる必要もあるかと思う。
私はまず余程のことがない限り口答えをしない。言い訳をしない。そういうことに意味がないと思っているからだ。なぜなら、とりあえず今、私は仕事ができない。仕事のできなさには、いくつもの要素がある。
  
私は一番背が低い。手が届かないものがある。それでも届かなくてはいけない。50食以上にもなる白飯の大鍋は炊きあがりを取り出すときが大変重くて、初日に、持てないかもしれないと言った。それでも持たなくてはいけない。
けれど間もなく、一番重いのはご飯の鍋ではないことを知った。


これは本当に持ち上げられずに困った。困っても持ちあげなければならなかった。それは生ごみだ。屋内の青バケツに入ったゴミ袋を台車にのせて、屋外の青バケツに捨てに行く。誰にでもできるゴミ捨てが私には困難極まるものだった。これは解決のしかたを考えられない。私が持ち上げられるようにしなくてはならないのだ。
自分が小さいことに子供の時から劣等感を感じていたけれど、数十年生きてきて劣等感の「感」がとれただけなのだ。
 
次。盛り付けができない。
大きなタライに入った惣菜を器に盛り付けるだけなのだけれど、急ぐあまり分量の均一化と見た目のきれいさを作れない。見た目を同じにしなくてはならないことは十分承知しているし、不真面目に作業をしているわけではない。時間があればできるのかというと、それも自信がない。なぜならポリ手袋を着用して手づかみにするけれど、そのポリ手袋が自分には大きすぎて不便だからだ。これは回数をこなすことで改善されるのだろうか。不明。

次。切り付けが下手だ。
包丁を掴むのが苦痛な程度に。学校の時もそうだったけれど、私は不器用な人間だから、あんなに練習したにもかかわらず実技で「優」をとれなかった。まっすぐ切って四等分、のような単純なことが私には本当に苦痛だ。仮に使っている包丁が、今のおもちゃのような切れないものでなかったとしてもうまく切りつける自信はない。これはどう解決できるだろう。包丁を家に持ち帰って研ぎたいけれど、自分の休みは他者の出勤日のため、難しそうだ。包丁自体のふざけたなまくら加減と私自身の無スキルをどう解決できるだろう。
 
このほかにも重量物を持ち上げる・運ぶシーンがあり、私は肘ばかりか腰を痛めるのではないかと怯えている。だから腰のストレッチは欠かせないものになった。
 
 
次。モチベーションがない。
自分マニュアルを作って毎日そらんじて覚える努力をすると良いのだけれど、休みになると、むしろ何もかも忘れたいと考えてしまい、呆けている。昨日も今日も私は何もしていず、ぐったりしていた。
 
 
 
先日、ひさしぶりに息子と話をした。彼はきちんと私を理解しているように思う。人の中に入るとまたたくまに疲れてしまう性質なのだと。その通りだ。

私は初日から、是が非でも辞めたいと考えている。毎日考えている。

しかし彼は、不必要な仕事というものはないのだし、苦手なことを繰り返すうちにできるようになれば、それはそれで嬉しいのだから、つらいことを乗り越えると達成感もあるし、いろいろ捗る。とか言う。
ネットにもそう書いてあった。乗り越えると人は成長すると。
 
だがしかし、ここなのだ。「今さら自己の成長を期待して乗り越えるべき事態」そのものを否定的に考えてしまう癖。きっとそういうのは間違っている。
ここが一番厄介なポイントになる。そんなことは分かっていて、それでも嫌だと思う自分の気持ちがあるから、だから冒頭に書いたように恥ずかしくて書けないでいたのだ。
   
私だって、何でも嫌だといってすぐに逃げ出すのはだめな人間だとわかっている。ところがその裏では、あと何十年も活躍するわけでなし、成長期の人間ではないのだから嫌なことに関わっている時間は無駄ではないかとも考えている。
必要な仕事だから時間給が発生しているのだし、仕事に貴賎はないものだと表では思う。しかし陰では、自分が皿洗いやゴミ捨てで人生の最後かもしれない仕事をしめくくるのは嫌だと思っている。
 
簡単に辞めてしまったら、教えてくれた先輩の時間が無駄になること、雇用してくれた人に迷惑になることは重々承知している。でも逆に成長が見込めないのだから試用期間中にクビにしてほしいとも考える。
 
こうやってだらだら考えて、やっぱりメモ書きを見ようともしない。というか見るのもいやなのだ。結構、自分のことを恥ずかしく思っている。