だからといって、毎日、不貞腐れているような自分ではないし、いつまでも分からないとか忘れたとかできない、というのもつまらない話だと思うので、最近は、いろいろ時間を返上して仕事、ちっともクリエイティブではない作業のこと、を考えたり覚えたりしていた。
だってカッコ悪いもの。年をとってるから大目に見なきゃなんて意識が他者に芽生えたりするのは、同じ時給を得て働いているのに、カッコ悪くて恥ずかしい。
きちんと覚えてしまえば、例外処理にも素早く対応できると思うし、仕事に余裕がでてくるから全体が見えるようになるだろう。第一、そこにかまけてばかりもいられない。
ライフスタイルというのは、本当に好むと好まざると変化していくものなのだと思う。一生このまんま、みたいに過ごせる人は恐らく皆無だろう。
息子が職場近くに引っ越すようだ。雪が降る前にという話なので、11月には越すはずだ。
当時、高校を卒業したばかりの男の子をただちに一人暮しさせるのは、遠くの大学に通わせるのでもなければずいぶん冷淡なことだと、私の母はそんなふうに考えたと思うし、あるいは子供本人もそう感じていたかもしれないと今は思う。
けれど大学に入ったら一人にさせようということを私は早くに決めていたし、それが子供のためになると信じてもいた。
私がまだ広告代理店に間借りしていたときで、毎日通勤していたから、私のいない間に荷造りは済んだ。
引っ越しを翌日に控えた日、私はバスで帰宅した。バスの中で、恥ずかしい話だけれど涙がとまらなかった。徒歩でも行ける程度の距離に引っ越すだけなのだけれど、それは距離の問題ではなかった。私はもう二度と息子と暮すことはないと覚悟していたからだ。その気持ちは今も全く変わっていない。
実は私が一番見栄を張りたい相手は息子だ。私の弱さや脆さや情けなさのたいがいを彼には極力話さないようにしてきた。いつまでも強く毅然とした母親でいたいというのが私の願いだった。もうすっかり見透かされているのかもしれないけれど。
成長するにつれて行動半径も広がり、親から離れて行くのは必定だ。自分がそうできなかった悔いもあるから、子供には、好きなように自由に生きて欲しいと思っている。
彼の研究者仲間の一人が、母親の介護のために研究職を辞めて故郷に帰ったときいた。どうにも事情がゆるさなかったらしい。実力のある人だったそうだ。とても惜しいと言っていた。
彼の震えるような心配が分かる。私はせめて健康でいなきゃいけない。
肉体疲労には軽度の運動が良いということなので、なるべく都合をつけてプールに通っている。歩くだけではなく、少しずつ泳ぐこともしている。そして今度は笑って彼を送り出すことにしよう。
で、あいた部屋に私が入ることに決めた。
現住居は多分賃貸には出さず売却する予定。私が大好きなこの部屋の日差しや、広さを失うのかと思うと、本当に胸がしめつけられるのだけれど、「小さく生きる」という言葉を知ったので、どのくらいコンパクトにうまく生活できるかを愉しんだ方が良いようだ。どうせパソ前常駐なのだし。幸いベランダの広さは変わらないので、植木鉢はそのまま一緒に引越しできるに違いない。