角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

墓地に屋台が出てまして。

 

お互いの事情にかまけて、5月に会ったきりの息子と墓参に出かけた。
 
事態は私の知らないまにいろいろ変化していたようだ。海外誌に向けて投稿した論文がアクセプトされたという。あとは年末までに学内審議があってなんたら学のph.Dになって12月卒業とのこと。ph.Dというのは俗に足の裏の米粒と言われているのを知った。とらなきゃ気持ち悪いけど、とっても食えない、という意味だそうだ。
 
その後は、その論文を書いた時の研究室に空きがあり、助教として勤務することが内定しているとのことで、ポスドク期間なくして助教に就職するのは現在は結構レアなケースだそうだ。やっと一人前に給与・賞与をいただける身分になるので、母が生きていたらさぞ喜んだことだろう。
 
しかしながら、一生そこにいるわけではなく、任期があるため、あちこちの大学などを転々とするのだと思うし、最終的に当地に戻ってくるわけでもないのだから、浮き草稼業のようで、不安定ではある。
 
現在、学校の帰りに、お寿司屋さんで清掃のアルバイトをしているというのも初めて知った。
これまで友人らの結婚式に何度も何度も出席し、なかには当然、お子様のいる友人もいれば、家を建てた友人もいる。それを意にも介さない様子だったけれど、むしろ私の方がやきもきして一度痛烈なことを言ったことがあるので、以来少し距離ができた。何事もなく普通に会話をするけれど、きっと私を許していないと思うし、私は全く良い母親ではない。恐らく毒の部類だ。
  
けれど「親孝行」というような言葉を私は息子に教えたこともなければ、強要したこともないので、それだけが矜持と言えるかもしれない。
私の役目はすっかり終わった。昔、手をひいて歩いた子の後を、今はついて歩きたい気もするけれど、親が子を思う気持ちと子が親を思い出す気持ちは全く違う。男の子が成長するということは別離を意味するのだと思う。
 
私がこれからすべきことといえば、息子に迷惑をかけないように生きて、迷惑をかけないように消えることだけだ。うまくできると良いのだけれど。 
  
そんなふうなので、息子は全く私自身にも私の店にも興味関心がなく、一度くらいは顔を出すかもしれない、とのことなので、私はまだ開業もしていない店の、将来の振り方をあれこれと考えている。