角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

栓抜戦を敗退する。

 

100均で昔ながらの形状の栓抜きを買ったけれど、肝心のところの引っ掛かりが悪くてすべってしまう。実家で大昔に使っていたあれは簡単で取るに足らないプロダクツではあるけれど実に実用的そのもの合理そのものであったと思う。ほんのわずかな違いが良し悪しを分かつ。日本のものづくりをなめるなと思った。
 
気になって検索すると、楽天では10個セット540円というのがあったりして、何も100均で買うこともなかったのだと思うと、悔しい。10個も要らないけど。
 
 
店にいる時間を増やして体を慣らそうとしているけれど、ほんの数時間居て軽作業をしただけで疲れてしまい、今、仮眠から目覚めたところ。
営業が始まったら、まだ店にいる時間なので、どこかで一度「眠り」を入れなければいけないのと、さらにメニューを精査して絞り込むこと、家でできることは家でするとか、毎日やたらと作り過ぎないことも大切だ。
蕎麦店でこれならできるかも、と思ったのは、大きな誤解で、あらかじめものの位置や動作のノウハウができあがっていて、動線がきまっていたからだ。人が作ったレールやルールの上での振舞いに過ぎなかった。
 
店で煮炊きをしていると、火加減が家と全く違うことや、高さなども違うのでご飯を焦がしたり、卵をちらかしたりする。
こういうときはどうするんだろうと、切実に思うけれども、一部始終に答えを持っている「神」はどこにもいないのだから、神様がいるとしたら、あやしい言い方だけれど、それは自分の中にしかいないのだと思う。どうしたらいいのかは、自分で考えて見つけるしかない。手さぐり感満々だ。
 
日経ビジネスオンラインでテルマエロマエの人のインタビュー記事が連載されていて、ずいぶん過激な経歴をお持ちの人のようで驚いたが、結構刺激的で勇気づけられた。「できないと思っていたことが実はできる」ようなことがあるかもしれないし、第一、酷くなったところで、どうにでも生きていけるかもしれないと感じた。
 
ただ、子どもが小さい時分なら、とてつもない底力のようなものを発揮できたとしても、今は特に誰かのために生きる、というような動機がないので、引っ張ったらすぐに抜ける草花のように、自分の根が浅くなっているのを感じる。歯をくいしばって頑張ったり、死ぬ気でやる、というようなことは多分もう具体的には無理に違いない。
 
それなら、私は、戦略を持つべきだ。仮眠だってりっぱな戦術だ。