角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

すごく速いのりもの

 

職場の厨房室とホールは隣接していて、窓を開けてカウンターに出来上がった料理を並べると、入園者がぞろぞろと並び、惣菜の乗った皿や小鉢をトレイに乗せていく。立ち歩くのに不自由な人の分はあらかじめセットしたトレイをヘルパーさんが運んでくれる。
 
このホームは終の棲家とはならない施設だ。病気になったら入院し、快癒しなければ退去しなくてはいけない種類の。
 
早番のときは朝と昼に、遅番のときは夕に1回カウンターを開けて入園者にお目にかかる。特に会話を交わすこともないし、特別なことがない限りお互いに名前すら知らない。我々の方は完全な白づくめのユニフォームで帽子とマスクも着用だから目元しか見えない。
 
 
 
先日の休みの日に図書館で本を借りた。

四角形というのは自然界には皆無なのだそうだ。だから四角形はヒトが創った。四角の中に例えば絵画をかくことを発見して、初めて余白が生まれた。 ― 余白は無意味だ。合理から生まれた四角形が、世の中から無意味を取り出したのは不思議なことだ。 ― と、赤瀬川原平の「四角形の歴史」に書いてある。
文字が少ない方がいいと思って借りてきた本だけれど、引用しようとすると丸写ししたくなる。
 
 
さしづめ、厨房室の窓は車窓のようなのだ。
 
入院なさる人もいる。普通食がお粥になった人もいる。先日ひとりで食事をとりにこられていた方が居室での食事に切り替わった。その数日後に入院なさった。入院して1週間と経ってないのだが、亡くなられたときいた。
ゆっくりと変わる。ゆっくりと確実に変わる。お互いがお互いの窓の外の景色なのだ。
 
 
  
きょうは休みだった。昨日から決めていたとおり、ゆっくり起きて朝食はトーストにした。トーストにはレモンカードを塗って焼いた。焼き立てにリンゴジャムを挟んだ。勿論どれも自作だ。紅茶をいれて、梶川芳友の何必館拾遺を読んだ。ここでも偶然、余白について触れた文があった。
 
この本を読んだ後で行きたかったと思う。さらにもう一度行きたいと願う。この人の文章も読みごたえがあって圧倒されるような気がした。

どこもかしこも何もかも本当はすごく速い回転をしているのだけれど、わたくしたちの旅は回転ではない。