角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

「貧」は要らないと思うけど。

 

おそらく、ここから先は、手の届く範囲にものがあるといった暮らしの方が楽になるのかもしれないけれど、引っ越しは面倒で面倒でたまらない。まだ何一つ着手していない。
 
玉突き的引っ越しなので、まず息子が出なきゃいけない。まだ部屋を決めていないようだ。この子は超のんびりなので、一体いつになるか分からない。
 
加えて、部屋の一部を画像で送ってもらったところ、相当に、想像以上に劣化している模様。私は激しく後悔する。私は教育ママでも躾の厳しい母親でもなかった。要するに母親らしいことは何一つしていなかった報いというか、掃除や家事についてを教えなかったので、まるでどうでもいいと思っているふしがある。ありありとある。それで、いろいろ取り替えたり入れ替えたりしなければ、私は住めないようだ。リフォームに一体どのくらいかかるんだろう。時間と経費と。
 
それから私の今の住まいにしても、清掃は勿論、リペアとかリストアとか「リ」のつくいろんなことをしなければ、売却できないと思うのでリフォームに一体どのくらいかかるんだろう。時間と経費と。
 
少し気が遠くなる。恐らく年内いっぱいはかかるかもしれない。
 
学会のために国内をあちこちしていた息子が、久々に昼食時にやってきた。学生でなくなる時に、研究者として生きていくためにはフィロソフィが要るとラボの先生に言われたそうだ。
たっぷりと語ってくれたけれど、どの道、好きなようにしなさいとしか私には言えない。それでも安心して死ねると思った。私が大丈夫な人間ではなくても、私の子であるこの子は大丈夫なのだ。部屋は汚いけど。
それは成功するとかという意味とは全く離れて。
けれど、私を見て育った息子は「清貧」に憧れているようだ。それは困ったことだ。憧れられる貧乏ってなんだろう。