角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

見積もりに動揺。

 
我々が冬に温度の話をするときは全てマイナスは省略されている。四度といえばマイナス四度に決まっているからだ。こういう話も私は、毎年書いているに違いない。
 
ちょうど今、雪まつりなので街中の人出が凄い。たまたま昨日はその辺を歩き、日差しもあるし、あたたかいから手袋がなくても辛くないなと考えていたら、信号待ちで観光客らしい人たちが口々にあああ寒いと言って震えておられた。
 
外を歩くよりも、自分ちの方が最近は寒くて辛い気がする。
 
キッチンを総入れ替えしたかったのだけれど、ものごとにはきっとタイミングがあって、勢いにのってスタートさせないと、完遂できない。

あれこれ見積書を矯めつ眇めつしているうちに、そんなことをしなくても現有のもので暮らせるではないかという気持ちになってきた。というより、知人の便利屋さんが、一度徹底的に清掃をするから、それを見てから判断してはどうかというのだ。
人がせっかく清掃したものを、やはりこれではいやだと捨て去ることにするのは本当に気の毒だ。
それにやはりキッチン回りに手を入れるとほぼ倍近くの経費になる。
 
フローリング化することだって何だって、ここから先は、私の命を削ることだから、試算の考え方というのは「120歳まで生きるところを100にまけて、リフォームにまわす」というような、大げさにいうとそういうことだ。B社の見積もりは文字通り寿命が縮みそうになった。
何が本当にいいことなのか、そうでもないのかは、実は分からない。私には判断できない。
 
「本当にやりたいこと」というのは何かしら制限や枠組みや秤にかけるようなことが必ずどこかにあって、その状況如何で動揺するのではないだろうか。
 
クローゼットを新規に造作してもらうつもりで、整理箪笥を処分したけれど、どこにも建築物的に場所がとれないということで諦めた。そうすると現今の部屋のクローゼットのものと、整理箪笥に入っていたものが溢れてしまう。

便利屋さんが、もしこだわらないのであれば整理箪笥を持ってくるといってくれた。

よそ様の引越し処分の品だ。特にこだわりはないけれど、何をやってるのかな、自分。とても変だ。
まあ笑ってしまったので、楽しいからいいんだけど。こんなドタバタが続いておりますです。