角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

まだ見ぬ春。

 

読めない、読みたくない本がある。月初にまとめて数冊購入するなかでそういう本が今月は二冊あった。本が悪いわけではないと思う。一冊はコメントを見ると面白いと言う人もいればそうでもないという人もおり、駄本だと切り捨てている人もいた。ああそうなんだと納得して私は本を閉じた。
もう一冊は大半の人が面白い、絶対面白いと推奨していてきっと文学的にも優れているらしいが私には分からない。私は全く面白く感じずに本を数ページで閉じた。これは私が大いに鈍感で無教養で知性がないせいだと思う。申し訳ない、読めなくてごめんなさいって感じだ。

何かそそられる本を探そうといつものアマゾンではなく書評サイトを検索していくつかアクセスする。気が付いたことがひとつある。これらは新刊の書評であって、私は新刊を探しているわけではないということだ。いくら興味深い新刊書があったって何冊も購入するわけにはいかないという私の事情がある。私が探しているのはそんなに紙が黄ばんでいるほど古くもなくできれば今世紀であればいいと思うが、私がまだ知らない作者の本なのだ。勿論数多あるはずだ。あるはずなのに探せない。

興味関心を持てる範疇が狭いのだろうか。かもしれない。私はカタカナ名前がでてくる本は苦手だ。若い頃はそうでもなかったけれど、だんだん苦手になった。だからと言って見慣れない漢字ばかりの名前がでてくるのも読めない。何と読んだらいいのか分からない人名や地名が多いとそれだけでどうすればいいか分からなくなる。それで私は面白いと評価の高かった「三体」を読めなかった。以前も書いたけれど和名やひらがな名前や分かりやすい地名に変換されたならば多分読んだと思う。

読みたい本は、新しいものであるほど図書館では借りられない。現代用語遣いでは借りれないというのかもしれないが。私は予約が嫌いなので図書館の本を予約することは多分絶対にない。予約行為は必要最低限で済ませたい。

なんとまあ我儘なことだろうと思うけれど、本を読む行為は人に強制されるものでもなければ誰かのために読むわけでもなく極めて個人的な行為なので私の好きにするに決まっている。

いつもなら読み足りない分を追加購入するのだけれど、先日も書いたとおり想定外の浴室水栓の交換工事というものがあり、さらに飛行機とホテルの決済をしたので来月のクレカ引き去り額が跳ね上がると考えると小心者なので追加はせずに図書館で凌ごうかと言う気持ちになり検索するとやはり読みたい本はそもそもないか貸出中であるので、好きにするといったって好きにできないのだった。

見たかったアニメは全部見た。まだ最終シリーズはアップされていないけれどネタバレサイトで把握した。
実写版の映画を見に行こうかと考え中だ。

ああ、こういう日記では何を見たとか何を読んだとかタイトルを書くのが常識なのかもしれない。まあいいや。
一応書いておくとアニメはゴールデンカムイです。
アシリパさんと杉本の物語ではなく鶴見中尉の物語なんだと思いました。
この辺のどう感じたどう思ったについては私は感想を書けない人間で、最近は特に「言葉の階段」をのぼり詰めることができなくなり、自分の考えたことを適切な言葉にすることが難しくなった。
まあいいか。日記なんで。