角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

臨時収入があって。

 

引出し整理の折に、古い通帳を見つけた。最後に記帳してから8年が経っている。解約した様子もないし残高が少しある。他行の通帳も持って本日は記帳のためのATM巡り。古いものは解約した。
思いがけないお小遣いができたので、早速本屋に寄って中古ではない本を2冊ばかり購入した。それからベイカリーカフェで昼食をとり、夕食用におすしを買うと、数十円の持ち出しとなった。
帰宅してからなんだか気が大きくなって、オンラインで春のコートを買った。
もう、食べたいものを食べて、着たいものを着て、好きなように暮らしていこうと決めている。

私はモノには殆ど興味が無いというわけではないが、欲しいと思うことがない。焼き物や絵画を見るのは好きだけれど、それを買って自分のものにする欲求というのがない。
宝飾品とは無縁だ。指輪を欲しいと思ったことがない。
車や時計なども当初の目的を果たせばそれでいいのだと思う。車は動けばいいものなので動く車を買ったし、良い時計が25時間仕様であるはずもないのでなんなら百均の時計でも無問題だ。今は車も時計も持っていない。
家電といえば拙宅には冷蔵庫と生ごみ処理機しかない。ああそういえばまさかのヨーグルトメーカーがある。甘酒に凝っていた一時期があり時期が過ぎて使わなくなった。
トーストはガステーブルのグリルで焼けるし、ご飯は土鍋で炊く。冷やご飯を温めるのは蒸し器が良いので電子レンジも壊れたのを機に持たなくなった。

私が欲しいのは食材と本と季節ごとの衣料品くらいだ。あまりたくさんを食べられなくなったので外食頻度も極めて低い。あ、スニーカーは必ず更新する。新しい眼鏡は必要かな。新しいパソコンは、欲しい。

ところが。
別に清貧というほど心が清らかでないのが残念です。

今はあるかどうかテレビがないので分からないけれど、♪ぼくの名前はヤン坊~ぼくの名前はマー坊~というコマーシャルソングがあった。
息子が小学校低学年の時に替え歌を作って、ぼくの名前はビンボー、ぼくの名前はボーボー、二人合わせて貧乏だ、ぼくとお母さんで貧乏だ、大きなものから小さなものまで何にも買えない貧乏家族~♪と歌っていたので、なんて優秀な子なんだろうととても驚いた。それから一緒に歌った。
とりたてて陽気でもほがらかでも何でもない母と子であったけれど、生活苦と背中合わせみたいなことはほとんど気にも留めていなかった。
第一、息子には言わなかったものの私は働きに働いていたので実際のところ生活に困ることはなかった。
息子の担任の先生が気を使って、調理実習か何かで余ったじゃがいもを持たせてくれたことがある。
母などはとても不快そうな顔をしたけれど、私と息子は別にどうということもなく美味しくいただいた。

私は鋼メンタルだから、息子も似たのだと思う。

もう30年くらい昔のことだがつい先日のことのように思い出す。
床に入ってから、息子が家族とともに幸福に暮らしていけることを毎晩のように願う。
それで、母もきっとそうだったんじゃないかと私は今頃になって気が付く。