角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

今までの君は♪

 

クリスマス兼バースデイカードが届いた。
クリスマス併用になったのは昨年からで、カードは去年も今年も間違いなく息子配偶者の選択だ。それを私は大変気に入っている。裏面は息子が薄くひらがなとカタカナで書いた上を幼児がなぞっている。そしてお気に入りの車や寿司のシールが貼ってある。寿司のシール。ははは。アーンド封筒の宛名の脇には少し厚みのある猫シールが貼ってあった。
家族総出のお祝いカードであった。気持ちがゆるっとなった。
私は愛されキャラではないが、少なくとも嫌われてはいないらしい。
遠く離れているからこその良いお付き合いなのだと思う。
このくらいがちょうどいいなあと感じる。

会いたいとはいつも思うけれど、会ったところで特に話がはずむということもないし、彼らが結婚したときからみんなで会うときというのは、私が馬鹿なことを言いやしないかと息子が非常に気をつかっている様子が分かるので私も無神経な言葉や不用意な発言をしてはならないと少し緊張してしまう。

誰にも言わないけれど、私は息子の配偶者を好ましく思っていて生まれ変わっても息子の奥さんを引き受けて欲しいものだと考えているのだから、まさか嫌味だとか嫌がらせだとか意地悪だとかをするはずもないのだが、私は舌禍の人間なので息子は大いにピリピリするわけだ。申し訳ない。私は無神経なことを言って全然気が付かないことがあったり、なぜそんなに悪く受け取るのか分からないと思ったりすることがある。天然の無神経が一番たちが悪いのだそうだ。おまけに面白くもない黒い冗談もいいがちだ。実に申し訳ない。

息子が淡々とした人間であると私は思っている。あるいは私のことは特に気にしていないようだ。母の日のカーネーションのようなものは学校で何か啓発するのかしないのか知らないけれどもらったこともなく、初給料でケーキを買ってきたこともない。まあ私の方も誕生日プレゼントとかクリスマスケーキとかは無視したので距離感のある親子かもしれないが、それがこんなふうな有難いことをしてくれるのは妻ちゃんのおかげだと思っている。

じゅうぶん私は幸福だ。

私は午前中、仕事に出かける前に「約束の橋」を聴いて不覚にも涙ぐんでしまったが、別に悲しかったわけではない。
涙をながしたりすると鼻水がでるので、むやみに鼻機能を使うと冬場は鼻血につながるのをおそれており、泣かない女になったほうがいいのだった。