角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

犬道があった。

 

私は「どうもう」のほかに「ねいもう」と言う別の言葉があるのだと思っていたが「どうもう」の単なる誤読であることを知った。
今朝布団の中で、たしかまだ5時前だったと思うけれど、あらためて思い出した。そうだったのか。

獰猛犬注意と書いた木の札が昔は良く見られた。金属製の正方形のような形に「犬」と書かれた札も貼ってあった。昔というのは自分が小学生の頃なのでこれはもう相当に昔だが、当時はマンションもアパートもほとんどなくて集合住宅自体があまりなかったと思うので平屋または二階建ての個人住宅ばかりだったからそういう札もあったのだろう。札が表象するところの「犬」もまた地べたに小屋を構えていた。

小学校へは子どもの足で徒歩10分くらいだったが、近道ではなく犬道のようなルートを作った。各所で犬を撫でつつ通ったのだ。ずいぶん犬好きだったものだ。

ややしばらくのあいだ犬好きを通していて、猫にはあまり思い入れがなかったがいつの頃からか逆転した。自分が年をとったからなのだろうか犬の過剰感が疲れると思うようになり、逆に気ままな猫に惹かれるようになった。
職場には超猫好きの猫飼いがいて養子縁組もしかねないと私は見ているが、ときどき猫語を話したりしているので、いかがなものか、とふと思ったりする。別にいいんだけどその猫の名前とかを自分が知っているのもなんだかなと思う。

自分のところで飼った動物といえば子どもの頃に十姉妹とひよこ、金魚、めだか、大人になってから金魚、めだか、おたまじゃくし、さんしょううお、どじょう、うずらのひなとあるけれど、猫を飼ったことはなく、息子と猫の話をしたこともない。

息子の家には、配偶者が実家から連れてきた猫が2匹いて、猫というのは目を合わせたりするのを嫌うとか聞いたことがあるけれど、どういうものか息子とキジトラの猫はくっついていることが多く、うふふみたいな感じで見つめ合ったりしている画像がいくつかあって不思議だ。
もう一匹は白黒のおじさん猫だけれど、なかなか人になつかないというのが息子は勿論、私にも甘えてくるので息子配偶者が不思議がっていたが、息子と私の共通項のような雰囲気か何かを見つけられたみたいで、そういう意味でとても嬉しかった。

忘れられないうちに会いたいものだ。ご一家に。