角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

秋を何回。

 

このところの一番嬉しかったことといえば、猫が私を忘れていなかったようでいかにも、なーでーてーな感じの鳴き声で傍にちょうどいい具合にすり寄ってきたことだ。
猫が二匹いるのだけれど、私に寄ってくる方の猫はなかなかひとの好みが激しく簡単には寄り付かないらしいので彼らは不思議がっている。私は誇らしく思っている。
 
猫のちかくには幼児がいる。幼児というのは不思議なものだ。今思えば、はいはい期がおしまいに近づいたころに突然股のぞきをするようになって、一日に何度も何度もしたようだ。そののちに彼は直立し二足歩行を始めるに至った。股のぞきは歩行の始まりということだろう。
 
最近は激しく指さしをする。今回ははじめ外で待ち合わせてからのお宅訪問というかたちであったが、テレビ塔の下で上を見上げると鉄の骨組みが見えるのだけれど、すかさずそういうものであるとか、遠くのクレーン、散歩犬やあるいは3ミリくらいの小さな蟻だとか、つまり目に入る興味の対象を全て指し示すのでなかなか忙しそうではあった。そのうち言葉が堰をきったように溢れ出すに違いない。指さしは言葉の始まりになるのだろう。でもあの指さしのかたちは一体どうやって覚えたのだろう。自然発生的なものなんだろうか。とても不思議だ。
 
幼児というのはどんな気持ちを話をしてくれるんだろう。まだかまだかと逸る気持ちは、つい現状を遅れているのではないかととらえがちになったりもするけれど、やはり話すのが面倒だからと指さしだけで終わる人生なんてないのだから、気長に待てばよい話なのだ。
 
と思っていたら息子の異動が内定した。来春に転出する。さびしいかさびしくないかを考えたりするのはよそうと思う。任期満了にしたがい次の職場を探すのがルールなので無事に受け入れ先が決まることを喜ぶべきなのだ。道内から出るということはどうしたって飛行機の距離になるからそう簡単にしばしば会えなくなる。散歩程度の距離に居ながらそんなに会えない今とは少し気持ちの有り様が違ってくる。
 
いとしい人や大切な人がどんどん私から遠ざかるというのは。