角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

鰻ご飯を却下。

 

赤瀬川原平が、フェルメールの絵画について書いた文章中に「~言葉というのは目の粗い笊みたいなものだから、気持ちなんて形のないようなものは全部笊の目からこぼれ落ちる。言葉の笊の中には何も残らない~」という箇所があってああそうかと思った。この名画読本という本は15章に分かれていて15人の画家の1作品を取り上げて解説している。
特にフェルメールの章を大変興味深く読んだのでそういう予備知識をもって見る作品にはまた新たな味わいがあると思う。美術館を巡る旅がしたい。
「はじめに」も良かったので、するすると入っていけた。


今日はケビンコスナーの「ウォーターワールド」を見て水に入りたいとしみじみ思ったのだけれど、コロナの数値もじわじわと上昇している折から市内の公共プールは8月22日まで閉館となっている。

今日あたりは夕方にぶらりと出かけてうなぎごはんでも食べてこようという心づもりだったのがやはりそういう場合でもない気がして閑居。さきほど扇風機が届く。手乗り扇風機だ。とはいえ結構な力があり、音が全くしないので快適だ。冷やし過ぎるのもよくないのでとりあえずこれで今季は十分だと思う。夜の眠りの浅さは昼寝でおぎなったりもするし、食欲は衰えないのでなんとかこのまましのげるに違いない。
 
職場に行くときは休憩時間に水分補給をする。ドリンクは買わずに作ることにした。梅干しを作ったときの梅酢と蜂蜜で自家製スポドリができる。なかなかいい感じだ。でも一体いつの梅酢なのだろう。昨年、一昨年と梅干しを作っていないのだけれど。作る楽しさはあるし梅酢は欲しいけれど梅干しそのものをあまり積極的に食べないのを思い出したので梅干し作りはやめたのだった。いつぞやの梅干しは冷蔵庫で健在だ。ああ思い出すだけですっぱい顔になる。

幼児の動画がアップされていたけれど、彼奴の毎日は喜びや楽しさだけのようだ。アイスクリームや西瓜、波打ち際やエノデン、サイやカンガルーや噴水や線香花火、そしておもちゃに囲まれた昼寝、猫をもふもふ。息子が小さかった頃はそんなにすてきなものやことを与えてやれなかったけれど、それでも目覚める度に大人になっていくのだとかわいそうに思ったことがある。
本当に人生のいろいろが紡錘形ならば老後の我々も喜びや楽しさだけの日々ならいいのに。幼児にかえるのなら笑顔だけの日々があればいいのに。

日記をアップしたらベランダに打ち水でもしてこよう。