角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

あしたはどっちだ。

 

来週には閉店してしまう文教堂書店に行った。同じような思いからか結構人がいた。
帰宅して早速読もうと思ったら下巻を購入していたのだった。なんという不覚。かくなるうえは明日にでも上巻を調達せざるを得ない。やれやれ。
前から読みたいと思っていた先崎九段の「うつ病九段」も購入したので今日はそれを読もう。
 
こうやって入れ子状態に本を読んでいくのが癖だ。昨晩まで楠木新の「定年後」を読んでいてあと数ページで終わるところだった。その前は福岡博士の動的平衡をあと数ページ残してのことだった。どれも面白いのだからしょうがない。
入れ子風読書は順番を違えることがない。つまり今、机の上にある本について動的平衡が一番後になるということだ。
さあ、明日も文教堂に行くか、それともジュンク堂にするか。新刊なのでまだブックオフには並んでないと思われる。
 
帰宅すると動画が届いていて幼児がかわいらしい。ははははは。
二足歩行をはじめてから数か月というところだが、覚束ないながらも歩きたい気持ちというのはなんだろうと考えた。
ひとつきくらい前の動画で歩きたくない様子のがあって、ほんの少しはいはいをした。けれど、ああもうこっちの方が楽だからこれでいく、一生これでいいやとはいはいで人生を送る人間はいず、必ずや立ち上がるもののようだ。
視点が高くなって見通しが良くなるからか、手が自由になるからなのか、不思議なものだと思った。

そうすると例えば狼に育てられた子のような場合は、後に人間社会で手をうまく使えるようになったのだろうか。それよりも四足で駆けることの優位さが勝っただろうか。
まあなんにしても幼児が満面で笑うというのは思わずつられて笑顔になってしまうので結構なことだ。
 
息子がそのくらいの年齢のとき私たち夫婦はものすごく仕事をしていて、休みがなかった気がする。子供を連れてどこかに行くとしたらせいぜい近隣公園かスーパーくらいのものだったはずだ。
息子家族は好むと好まざると休みのときは昼寝時間に合わせて「一日二公園」だというし、それ以外にもピクニックだとかドライブだとかとにかく出かけているので、一度息子に、幼少時が不満であったかどうかを聞きたい気がするけれどとても怖くて聞けやしない。子供のために睡眠時間を削って働いて、あまり良い母親でなかったと言われるのも悲しいと思うし。
息子には楽しかった思い出があるんだろうか。
 
 
雨が降り出した。明日の朝まで続く予報。今日はまちに出たついでにお弁当を購入してきたので味噌汁だけ作る。お風呂で髪を染めて、本を読んで、何事もなく明日の朝がくる。

とは限らない。