角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

電話嫌いなのです。

 

私はとうとう言ってしまった。やわらかに。
ビデオ通話は嫌なのだと。電話は大嫌いなのだと。
これを息子にきちんと伝えるために少し考えた。いや、ずいぶん考えたのだ。

彼は親孝行の意味をこめ、定期的にビデオ通話はいかがですかと御用聞きになる。
前回も自分がこどもを楽しませるような会話もできないことなどを言ってパスしようとしたら幼児が電話したがっていると言った。
こどもというのは妙に鋭くて気を回すようなところがあるから実は私は怖がっているのだと思う。嫌われたくなくて怖い。3歳児の話す言葉を私は聞き取れない。噛みあおうとあうまいと会話を続けるスキルは私にはない。

けれど、誰がなんと言おうと、私にとって息子一家は宝物なのだ。
ただ一人の息子やただ一人の孫、ご縁があって息子の家族になってくれた人、彼らを愛しく思わないはずはない。

幼児のほうはこのままいくと私の顔も存在すらも忘れてしまうと思う。それは致し方ないことだと私は諦める。
息子と私の母との関係のようにはいかないのだ。いつも仕事ばかりの私に代わり文字通り親代わりだった私の母のように私はなれない。

了解したよぉと息子がメールを返してよこした。
息子は悲しがっていないだろうか。ふがいないと感じているだろうか。私はどうすれば良かったのだろう。というのは嘘だ。

そんなことは、私は分かっている。

普通のおばあさんのように話がかみ合わなくたって平気で思う存分愛情をこめた言葉をかけるだけでよかった。私というのはどんなことがあっても自分が一番大事で盛大に我儘で自分中心の振る舞いしかしないのだ。大人げなくて呆れる。

なぜ最愛のひとの要求に応えないのか、なぜひとを悲しませてまで自分を押し通すのか。
そういうことの報いというのは忘れ去られることではないのか。

まあいいか、と思った。