角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

窓外を眺めていた。

 

2日と3日は一歩も外出せず。昨日は食品買い出し。今日はドラッグストアに用があるのだけれど、強風のため見合わせ中。こどもの日は気候が不安定なことが多い気がする。
小さい子がいたころのことはあまり覚えてなく、こどもの日に何かをした記憶もないけれど、今日みたいな日は幼児のみなさんはきっと飛ばされる。かもしれない。

 

風の音は昼間でも夜でもこわい。昨夜は眠れずにしばらく輾転とした。

 

軽度の運動とか日照とか入浴とか安眠のための処方はいくつかあるものの、全てこなしてもどうにも眠れないときはある。
気持ちが沈むとこのまま沈み込んで底まで沈んで浮き上がれなくなるかもしれないと思う。
こんなふうに自粛生活が続くと旅行はおろか就業さえも回避した方がいいような気持ちになるので、それは危険だ。勤労意欲が削がれるのは生きる意欲が削がれることだ。

 

さいわい、食欲だけは普通にある。包丁を念入りに研ごうと思う。


当初に予定していた書店巡りを中止して発注に切り替えたから届くのが休み明けになってしまう。どの日も休みなので構わないといえば構わない。


しばしば来ていた前職の同僚からのメールが途絶えたので私は当然過去の人になったと思う。やはりどうしても仕事現場に「遊びに」行くというのは違うだろうと考えているので顔をだすことはないだろう。


自分はいつも人との関係をリセットしがちなのだ。というか9割方以上リセットする。学校の卒業も含めて。小学校を卒業して以来、それが不自然だとも変だとも気が付かなかった。不自然なんだろうか。もう手遅れなのでまあいいや。

 

 


幼児の動画が届いていた。
産まれた時からの画像で、私が感動したひとつめは窓の外を眺めている写真だった。
自分自身の手も足も認識していない存在であったのが、自分以外のもの親以外のものを見るというのはすごいと思った。

まあ、猫だって外を見るけれどね。


昨日の動画で幼児は「ぼくの」と言っていた。「ぼく」を理解したのだ。その「の」は所有の「の」なんでしょう。大変な成長ぶりだ。あはははは。
幼児の家の猫達に今度はいつ会えるんだろう。

明日からは漸く温かく穏やかな天気になりそうだ。私の気も晴れると思う。