角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

入学式の日に。

 

散歩がてら、初めて行く遠くのブックオフに向かう。晴天にだまされてうっかり外にでたけれど、風が相当に強く寒い。耐えきれず帰りは市電に乗った。いつまでも寒いんだな。

ひとがどう年をとっていくか、言い換えるとどんな年寄りになるのかを見たい。大体水分不足で身長も縮むくらいだからそのひとの人間性の本質が凝縮されるんじゃないかと考えている。

自分の母親を嫌いであると言った人がいて、そのことを随分考えた。
もちろん親子にだって相性はあるから相容れないことだって大いにあるだろうけど、私が自分の母親についてどうなのかということではなくて、私を母親と認識している息子が、もしかしたらもうずいぶん前から私のことなど嫌っている可能性を考えた。そんなことはないと思うけれど、あまり自信もない。確かめようもない。

仮にもしも息子が、母親であるお前のことなど大嫌いだと表明したり、表明しないまでもにおわせたりしたら、どんな気持ちになるだろうと考えた。
ひとりで服を着られるようになったのは服の着方を教えたからだ。あれほど仕事をしたのも教育費を確保したかったからだ。大人になって、拠って来たる所を嫌悪するとしたらと考えるとぞっとした。転げまわりたいような気持になったばかりか、これはもう生きていたくない案件だ。

しかしながらこんなふうに大方の場合、母親の気持ちとこどもの気持ちはすれ違っているのではないかとも思った。
そんなにじくじくと重苦しく考えるようなことでもないかもしれない。自分に関してはやれるだけのことはやったので、といっても6か7か8割がただけれど、これで十分ではないのかと思うのでまあいいや。
 
今日は小学校の入学式だったのか、散歩の帰りにそれらしい親子連れとすれちがった。
手をつないで笑いながら話している親子もいたし、たいていは強風にもめげず穏やかに連れ立っていたのだけれど、ひとくみだけ息子を叱りながら歩いている母親がいた。こどもの背中から袖から風が吹き込んで空高く吹きあげられて遠くに飛んで行ってしまえばいいのにと思った。新一年生が入学式で一体どんな悪事を働いたのかと思う。