角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

納める。

 

泳ぎ納めに行く。といっても今年のプール頻度は低く、そめとおさめがあるくらいのものだ。言い訳だけれど、いつ行っても当たり前だけれどそこそこ人がいて思うように泳げなくて足が向かなくなった。たまに行くとそれでも水中は楽しくて解放感がある。なんとか、もう一度バタフライを泳げるようになりたいとは、毎年思っている。
 
私が教わった当時のバタフライは腰のうねりの強いタイプの泳ぎで、両手を肩幅よりも狭く、というか手の甲を合わせるくらいにして入水するのがかっこよかった。キックや水かきのタイミングが悪ければ、水が重くて重くて腕を水上に抜けないことがあった。下手なので結構疲れた。
でも最近のバタフライは、腰の上下動の浅い、フラットな泳法に進化したようなので、最早体力勝負のような泳法ではないらしい。動きが左右対称なのでシンプルなところが好きだ。もういろいろ忘れてしまっているのでキックから練習しなきゃならない。
ひとにはいろいろ言うくせに、自分自身は人目を気にするところがあって、恥ずかしいとかカッコワルイとか言って、様にならない練習を人前ではしない悪癖がある。こういうのは年をとっても案外治らない。
カッコ悪くてもいいじゃない、と人には言うんだけど。
 
 
さて、10日ばかり前に男の子が産まれて、すでに退院し、3人家族は楽しくやっているようだ。プラス猫2、老齢ウサギ1とともに。
 
息子の配偶者を「お嫁さん」と言ってはいけない、という意見も小町なんかでは散見されるので、では何と呼ぶといいのか私は困っていて、いわゆる共通言語のようなものがないと各種コミュニケーションは極めて難解になる。息子の配偶者とそのまま言えばいいのか、息子の妻と言えばいいのか、それは常に息子を介在させてストレートではないので、それは差別的ではないのか、とちらりと思うのだけれど。
息子の配偶者の場合は、「お嫁さん」と言っても別に目くじら立てるような人間ではないし、ややこしいことを言い出す人でもないけれど、入院中は姑(わたしです。ワタシ)は遠慮した方が、とネットで読んだので控えていたら、誘ってくれたので、行ってきた。小さい。ははははは。
 
息子は、私に似てクールな人間だと思っていたら、全然そうではなくて手も足も口も良く動く人だった。かいがいしいとか、まめまめしいとかそんな感じで、猫たちにも大人気のようでなによりだ。朝は猫が起こしてくれるとか。
家族が好きすぎて職場に行ってないのではないかと私は心配している。
 
私としては、つまりいわゆる片親として、悪かったかなと思う。息子は寂しかったり、父親が欲しかったり、大家族に憧れていたのだろうかと。小学校入学の年に離婚した。三年生頃から母が一緒に住むことになると、母に任せっ放しで、私は毎日帰りが遅かった。数十年間仕事しかしてないと自分では感じていたけれど、良く考えたら、その頃は事務所に雇用者もいたし、離婚した夫も職場にいた頃で、スポーツクラブで散々泳ぎ、泳いでから再び事務所に戻って仕事をしていたりしたこともあるけれど、実態はこどもよりも自分の水泳を優先していた狡い母親だったんだと思う。
 
こういう冷淡かつ狡猾な日々のむくいをいつか私は受けるんだろうか。受けるとしたらどんなカタチでだろう。私はさびしくされてしまうのかな、それも仕方がない。新しい家族がそれなり幸福であればそれでいいと思う。