角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

冬眠コースがあればいいのに。

 

それにしても今年は雪が多い。食材の買い出しの帰り道、交差点付近で大きく転んでいる人をみたので迂回した。

コロナもこわいし出かける用事もスーパーに行くくらいしかない。そういうのは自分だけではないと思うけど、どのように過ごされているのだろうか、日記でも書いているのだろうか。
春までの冬眠コースを選びたいものだ。永眠コースでも差し支えない気がする。
 
本を読むのだって力が要る。昼間読む本と布団の中で読む本とは違うことが多いし、かつ夜の本は気分で変えるので、今確認したら枕元に4冊あった。食い散らかすごとくだ。途中まで読んで栞もはさまずに伏せてある。
納豆の本もあった。納豆の本はとても面白い。

クリスマスの前に幼児の誕生日があるので何かしらを発送する。グッズ詰め合わせの中に今年は「りょうしりきがく」を入れてみた。
クリスマスの後に私の誕生日があるので何かしらが返送される。私にはグッズ詰め合わせプラス「世界の納豆をめぐる探検」という納豆の本だ。全部にルビがふってある。

幼児はDuoのときに初めて遠くに走り去った。なんだか分子運動のように激しく動き回って一向にカメラに向かってはこないので、「そうたいせいりろん」の方がよかったのかと思う。
おそらく幼児の「中の人」が育ちはじめて、いやいやいやいやという気持ちを身体で表現できるようになったのだろう。
親の気遣いからときどきDuoろうと言われるけれど、孫Duoはしばらくいいよと伝えた。
私としては親、すなわち息子の気持ちが有り難くていろいろ哀しい。哀しい気持ちを愛情とよぶのだと思った。

幼児とは接触機会が少ないので私の母と息子のような祖母と孫の関係は構築できない。
顔すら覚えていないかもしれないし、私の方は是非接触したいという気持ちもそんなになくて動画をときどき見ることができればいいという程度なのだ。孫命、そういう気持ちはない。むしろ幼児が長じて親を、つまり息子や息子の配偶者を困らせるようなことをしたら困るなと考えてしまう。
困らせたからといって私はもはや息子を助けることもできなければ、息子の配偶者を慰めることもできないので、なあんにも役に立たないのなら放っておくしかないのだ。

親子が一緒に暮らす期間が思ったよりもずっと短かくと、自立してからの方がはるかに長いと気付いたときは驚いた。
息子は大学に入ったのをきっかけに一人暮らしをはじめた。17か8の息子は、もう二度と一緒に暮らすことはないよと私が言うとあっちを向いて目元をぬぐった。

やはり今だって哀しい。