角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

1件、辞退

 

1件、辞退申し上げた。ふたまたをかけることはほぼないので、辞退経験も記憶にないが、辞退というのはなかなか心が痛むものだと思った。

鼻息の荒い思い方かもしれないけど、中高年の奥さまが働くところがないと嘆いておられるテキストをしばしば見るにつけ、そんなことはないと感じている。勿論人口の少ない地域ではそういうこともあるかもしれないけれど。

自分の場合はパートアルバイト募集サイトをみるのが趣味のひとつみたいになっているし、長いスパンで眺めているとおおよその傾向が分かる。時給は前の前の職場より前職、前職より今回内定のところと上がっている。特別なスキルも何もないけれどアプローチの仕方のようなものはあるのではないかと思うので諦めずに作戦を練るといいような気がするんだけど。

母はたしか50代後半あたりで甲状腺の病気をして以来すべての健康がそのせいで失われたと感じていたようで何かにつけて「自分は病気をしたから」と言った。私は同情心が薄い娘であったので言い訳のように聞こえて仕方がなかった。「健康だったら今でも働きたい」と60代70代でも言っていたので、不自由な側面もあったにせよ、働きたかったら働ける状態ではなかったかと私は思うのだ。
貧乏ゆえに上の学校に行かせてもらえなかったことについても相当悔やんでいて、これは80代のときにもそう言っていたのを覚えている。学校に通うだけが勉強ではないのだから、いくらでもそういう機会はあったのではないかと思う。
楽しみもせず学問もせず、というところか。もちろん母ががむしゃらに仕事をしていた時代ののちのことだ。
私は、そういう言い訳をする生き方はしたくないと思った。それで働きたい気持ちのうちは働く。

ただ自分にはとんでもない欠点がある。
継続力がないのだ。
卒業後のふりだしの会社員生活からたどっても2年、3年くらいで転職している。続けられたのは唯一、個人事業の30年だけで、パートタイマーに転じてからも長くて2、3年しか続かない。もっと短期間の、それこそ3日行って辞めたところなども含めると随分転々としていて傍から見るといい加減でダメな人間のようで面目ないと思う。
別に誰が信じなくても私が私をダメではないと信じているので無問題だ。