角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

ラジオ体操は第三までやってます。

 
前にオセロの話を少し書いたけど、追記として。

私、五目ならべも全くできません。オセロの有段者(笑)か何かの人が、集中力や思考力を要すると書いてあったので、何一つ思考できないことが分かりましたのでありがとうございます。自分、好きなのはナンクロです。ナンクロはヒントのないクロスワードパズルってところ。

おそらく私は、相手があるゲームが嫌いなのだと思う。相手の考えを気に留めもしなければ興味も持たなかったりする人間は、対戦ゲームができない。
 
えーと、すでにライラックの花の盛りで、芳香漂う季節になった。たんぽぽはライラックが咲くのを見届けてから行く。だからこの時期は綿毛の季節でもある。
買物帰りに普段はあまり通らない道を歩いていると、ふいにライラックが香るので、ああそういえばここは皮膚科の個人病院だったと思い出して門のあたりをうかがうと、いつからなのかは知らないけれど、看板はおろされていて、ライラックだけが濃紫だった。
 
 
誰かが「まあ、仕事がないんだったら旅行をして暮らせばいいじゃない?」とか言おうものなら、すかさず旅を住処とする意欲満々だ。「芭蕉の誘惑」が今手元にある。ちょっとしたことがあって読もうかどうしようか迷っている。
 
ところで、私は、このままいくと生涯就活というか、就活が趣味の老人になってしまいそうなので、それはなんだか怪談じみたり、嫌がらせのような気もするので、そろそろ別な発想をしなければならない。いろいろ記事を漁り読むと、読まなくたって分かるけれど、やはり年齢のせいなのだろう。引っ越しが済んだあたりからの就活は、6件応募し、5敗1辞退で経過中。
 
こうも袖にされ続けると労働意欲自体が失われていく。すがってもすがっても足蹴にされる男にようやく愛想がつきたという感じかな、心の底から働きたくないと思ってしまった。そしたらアーリーリタイアなんて言葉を知ってしまい、ああそういう言い方もアリかなと思ったけど、自分の場合は何一つアーリーではないし、第一資産などない。
 

この間、本は何冊か読んだ。
全部ではないけれど、村上春樹の本を立て続けに読んでしまおうという試みがなぜ頓挫しているかというと、単に貸出中なだけであって、ああいう文章やストーリーは時々無性に詰め込みたくなると思う。

と思いながら私が立て続けに読んでいるのは嵐山光三郎なのだった。少し引用すると「―― あの色紙には『善人づらした商売人』のおぞましさがある。― 中略 ― みせかけの純朴さと、貧相な抒情、傲慢なへりくだり、嘘の弁解、名声への執着、悟り自慢といった虚飾の匂いがする ――」とあった。
これは誰のことを書いているかというと、あの人のことだ。ずいぶん酷いなぁと思いつつも。で、今手元にあるのが上に書いた「芭蕉の誘惑」だ。
 
方舟さくら丸を、今日読み終えた。こちらも全部はきっと無理だけれどあと何冊かは読みたい。