角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

すみれ。

 

3月に旅行したとき、最終地はやはり東京だったけれど、あまり時間をとらずにいたし、天候もあまりよくなかったので宿泊先からほど近いブルーボトルに行き、その話は前に書いたので省くけれど、珈琲のあとで深川江戸資料館に行った。宿泊先は何度も利用しているけれど、近くにこのような場所があることを知らなかった。清澄庭園すら私は知らなかったのだ。
 
ともあれ。
ボランティアの70歳前後の男性が、ガイドはいかがかと話しかけてきたので、たっぷり時間があるわけではないけれど、お願いしますといってお話をききながら見学した。
当時の町並みを再現した展示が面白く、八百屋には今よりも細長い大根やにんじんのイミテーションがあった。その隣に、たしかすみれの花があったかもしれない。
 
それで、ハナですか、とつぶやくと、ハナも売っていたんでしょうねぇとガイドさんが言うので、そうかハナか、と納得した。
 
それが、もちろんハナには相違ないんだけど、あ、食用だ。と昨日不意に気がついた。当時は食用にしていたから、八百屋の店先に並んだのではないかと考えた。
 
すみれが食用であったことは事実らしいけれど、八百屋のたたずまいが本当に私の思ったとおりなのかどうかは全く分からないし、第一、すみれだったかどうかも今となっては何だか怪しい気がするので、どれもこれも私の妄想なのかもしれない。町並み再現、というのはとても好きな展示なので、またどこかに潜り込めたらと思う。
 
 
なぜ急に思い出したかというと、嵐山光三郎の本の中にヒントがあった。昨日、さらに一冊借りてきて読み終えた。
 
それからノルウェイの森を読み始め、翌日、つまり今日の朝には上下巻を読み終えた。それから例によってamazonのレビューの星ひとつと星いつつのところを読んだ。一か所、「自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」という言葉があって、私が誰のどんな本を読むにしても、何かしらこういう自分に響く言葉に出会うことこそが楽しい。
おかげさまで私は自分自身に同情したことは今までないので、力を得た気がする、というかいい気になった。
 
金曜日はひさびさに、やきゅうさん他2名の計4名で、お疲れ様会をした。何に疲れたかというと、みんな例のぎゃら社をめでたく逃れることができた人たちだ。やきゅうさんはもともと産休のMさんの交代要員であったから3月に辞め、29歳既婚女性は運よく妊娠という絶好の理由により、3月に辞め、29歳未婚男性は院卒以来ぎゃら社で働き、大変に大変な思いをしながらやっと辞めさせてもらうことができたのだった。
年齢的にはとても不思議な組み合わせの飲み会だったけれど、和やかな時間が持てた。29歳未婚男性はデザイナーとして小さな企業に就職し、会社がこんなにのんびりとして働きやすいなんて知らなかった、19時は帰ることができるし、土日を休めると言って、顔つきまで明るく変わっていた。年内に結婚するそうだ。
 
私はジンジャーエールを飲みながら、この人たちとはもうお目にかかることがないんだろうなと思った。とても良くしてくれた人たちだった。
 
私のほうは、ハロワといくつかの民間のサイトを日々チェックするけれど、応募自体できそうなところがないので、社会復帰の道は絶たれたと、そろそろ解釈しなくてはならないかもしれない。
 
図書館のすぐそばのお宅に実に見事な桜の木が2本あって、どこの桜よりも美しく満開していたのだけれど、昨日は、この前見たのが幻視だったかのように、何事もない庭のままであった。 

 
あ、ひとつ書いておくとノルウェーの森が良かったのかどうかは、わかんないけど、最後で泣いた。