角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

やきゅうさん。

 

富山県の楽翠亭美術館というところの5周年記念展として内田鋼一というひとの「手と眼」という展覧会をやって、そのカタログ冊子が私の手元に今あって、とても美しいと思って拝見した。この人の作品は、といえるほどの見識も何もないのだけれど、切り口が、文字通りの切り口が良いと思った。
 
 
さて、話は変わって、ぎゃら社に僅かな期間だけいたしゅふさんに代わり、ライターしゅふさんがやってきたのは4月のころだ。この人は、なかなかおおざっぱな人で、することがかなり雑でてきとうだ。しかも絵画にもクラフトにも何の興味も持たず、ただただ野球が好きだという。だから私はひそかにこの人をやきゅうさんと名付けた。やきゅうさんは、漆器の展覧会でも何一つ知識を仕込まずにお客様に対応し、結構ぞんざいな口の聞き方をして、代表者を怒らせていた。
 
最初の頃は、なんてデリカシーに欠けるがさつな人だろうと呆れていたけれど、この人はある意味貴重なのだと今は考えている。もっとも貴重だと思う特質は、実によくミスをすることだ。ミスをする人は貴重だと思う。人がどんなところでどんなふうに間違うのかを近くにいて目の当たりにするのはとても勉強になる。やきゅうさんのミスは、私もやらかす可能性のあることだと思う。
時と場合によるかもしれないけれど、人の間違いを責めてはいけないと私は考えている。責任逃れのうそをつくし、責任のある業務を回避するようになりがちだからだ。
 
度重なるミスの程度はそんなに大失敗というほどでもないし、なんとかなっているのだけれど、代表者は再びこのやきゅうさんを辞めさせようと画策を始めているようなので、私はそれがかなりいやだ。
ミスのせいばかりではなくて、何か自分に対して反論されるのが嫌なのだろうけれど、それでは人がまったく育たない。
 
やきゅうさんは大学生と高校生の母でもあり、母親的に面倒見がよいし、自分の失敗をまったく意に介さない。ねちっこく言い訳したりしないのがいいと思う。たぶん意味をわかっていないで仕事をしている様子だ。それは説明する側の不足だ。採用した人間の責任だ。
 
やきゅうさんは、自分が好ましく思われていないことを勿論わかっていて、前任のしゅふさんもあからさまな意地悪をされていた、と言う。つまりハブる人間なのだ、代表者は。この点は本当にだめな性質だと思うので、今回のイベント時の割り振りでも何度も私は言ったのだけれど、結局やきゅうさんだけが何も仕事を与えられなかった。
  
展覧会が8日に終了し、夜間作業で数値をまとめて現品突合せをし、9日には次の開催地に発送した。10日夜からイベントの搬入が始まり、11日から13日までの地下歩行空間でのイベントA、それと連動したイベントB、さらに13日・14日のイベントCと、Cの付帯イベントとして13日に上映会とトークショー、サイン会をこなした。
6月の土日はすべて仕事だったし、20日の土曜日は次の展覧会のオープニングパーティーがある(笑)。
  
やきゅうさんの出番が、イベント時には全くなかったのに対し、私のほうは体力的にも精神的にも切なかった。
それで、盛大にサボってみた。あまりにも眠かったので昨日はイベントの途中で帰宅し即座に眠った。この時点で私は「いい人」や「責任感のあるまじめな人」を抜け出せたと思うので、顰蹙でも陰口でもなんでも勝手にしてくれと考えた。電話を切って眠りますとだけメールを入れた。
 
そういう行為が社会人としてふさわしくないことは勿論当たり前だ。
 
ねちっこく言い訳すると、各スタッフがあちこちに散っている状態なら大問題だし、まさかそんなことはしない。けれど他の会場は前日に撤収済みであり、私は早朝からひとりで現場作業をしていたのだし、テントの出店に私がいなくたって別にどうでもいいことなのだ。ぎゃら社のショップ専属のスタッフは常駐していたし、他のスタッフもアルバイトもいたし、私はどこにいたって売る気はないのだし。
 
私はそんな人間だ。私は、信頼しているとか言われて、必要以上に凭れかかってこられるのは嫌だ。
  
彼女からは連絡が途絶えた。それは私が電源を切ったままだからだ。
本日は会計処理のために自宅作業をした。
明日からはいよいよ決算業務に入るため、他所で、前任の人のレクチャーを受けながら作業する。

  
やきゅうさんにしても、他スタッフにしても、私だけが彼女にきちんとものを言えるというけれど、別に私は彼女に意見をして真っ当な会社をつくろうという気持ちはない。それにスタッフというのは、一般的に、虐げられているときは本当に気の毒で何とかしてあげたいけれど、あっという間にきりがなく増長する性質をもっていることも私は知っている。これは残念だけれど本当のことだ。たぶん、ひとはどっちに転んでも中々賢い経営者や良い従業員になるのは難しいのだと私は考えている。
 
やきゅうさんの話にもどると、この人は野球以外にすごく詳しいことがあって、錐を使っていると、そういえばどこそこで錐で刺された事件があったとか、結束バンドを持っていると、そういえば結束バンド殺人事件があったとか、やたらと詳しい。それで私はやきゅうさんから、じけんさんに名称を変えようかと思案中だ。