角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

にどおいしい。

 

例えば、巨悪と、雑駁な言い方をするけれど、巨悪であるならば組織の人間が全てそれを分かっていて日々後ろめたく仕事をしているようなことはちょっと考えられないし、そこに働く人々の品性を疑う、なんてことにはならないけれど、それがごく小さな規模である場合は品性の問題になると私は思う。
 
脱税の方法は3通りしかないのだという。即ち、売上を過小にすること。経費を過大にすること。その両方を行うこと。の。こういう場合は2つと言っていいんじゃないかと私は考えるけど、まあとにかく。
 
あまり細かくは書きたくもないけれど、社の現金売り上げは、その辺の引き出しに鍵もかけずに入れてある。代引きの荷物が届いたとき、小口現金なんて概念もなくて、売上金に手をつける。どのスタッフもそうする。その領収書は最低限、売上金の場所に戻しておくとよいのだけれど、そんなことはしないで、とりあえず代表者に渡す。その領収書がどこに行くかというと、代表者の個人立替分に混入する。
 
あまつさえ、その、店の現金売上は、簿外の口座にしまいこむ。そしてここが重要なのだけれど、スタッフレベルで「売り上げは抜きましたっ」とこともなげに、いやむしろ美徳であるかのごとく、あるいはあたかもそれが通(つう)のすることであるかのように、誇らしくさえ聞こえかねない口調で言うので、それは吐き気を覚えるくらい気持ちが悪いことだ。そのスタッフは私の後輩にあたる。旧帝卒だ。もう残念感もきわまってしまう。
 
別にそんな事実をちくったりしようとも思わないけれど、自分がそういうことに関わったり、ましてや会計の責任者でいることなど到底無理だと思った。10年経ってこんな状態であるということは、清廉に近づける意識がないということだ。 

人は名を惜しまなくてはいけない。私は今期の決算終了後に辞去しようと考えている。私は、何度でも振り出しに戻れる蛮勇があるし、失うものなんかない。あらかじめ失われたところから始まっているではないか、自分は。
もう何一つ自分から引くことなんかできなくなって、私は私の本質だけで生きていけばいい。それはさぞかしジャコメッティの犬のようであるかもしれない。人がどう私を思おうとどうでもいいと思う。