角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

鉢のないベランダ。

 

集合住宅のベランダがなんのためにあるかというと、私は、戸建てで言えば庭に相当する意味と機能を持つものかと考えていたけれど、どうやらこの頃は避難経路であるという、本来的な意味合いが強く意識されているみたいで、こんなことからも自分が年をとったことを感じる。
 
例年であれば連休のうちの暖かい日を選んで朝顔の種を植えたり、窮屈そうな鉢植えを植え替えたり、丈夫そうなものは室内置きからベランダ置きに切り換えたりするのだけれど、今年から、やめた。
  
集合住宅のベランダを花で飾ったりするのは誰にとっても善なる和みの行為だと私は考え続けていたけれど、それは避難経路、ってことは置いといても、落葉・落花、時として集まったり発生したりする虫の類が、共同生活上の大いなる迷惑なのだそうだ。知らなかった。
 
私がいくら落ち葉はゴミではないと言ったところで、世間の大方は違うのだ。葉っぱの一枚や二枚が風でお隣に飛んでいったところに目くじらを立てる人が多いらしい。物質的な分かりやすい迷惑の見本のようなものだ。自分たちのまき散らす音やにおいには鈍感であるらしいとしても。
 
そんな記事をたくさん読んだのですっかりベランダガーデニングを断念した。私は小心者なので「迷惑行為」とか言われると消えてしまいたくなる性分だ。暮らしにくい。
 
本当にそうなのかと思って、散歩の道すがら眺めるベランダ群のうち、丈の高い赤いゼラニウムのお宅が1軒あったのみで、あとはちらほらと洗濯ものが風に吹かれているばかりで何とも実に殺伐とした感じがした。窓辺に花を、とか行政の推進する緑化運動は戸建ての人のみが参加できるのかもしれない。
 
本当にがっかりした。かくなる上はインドアガーデニングかなと考えたけれど、自宅にあるのは太陽の光を欲しがるバオバブだとかクワズイモ、室内では育たない山椒の木などなので、日照の少ない室内では飼い殺し状態になるのが気の毒でならない。
 
朝顔ひとつ作れない終の棲家だなんて本当に情けなくてたまらないけれど、まあそんな我儘を言える境遇ではないので、いろいろ諦めることばかりになった。