角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

一言もなく消えた。

 

風の強い日々、やっと咲いた桜に霙雨が降った。
週の予報も雨続きで、毎年桜花というのは咲いたかと思えばあとかたもなくあっという間に消えてしまうから、桜は実在したのか、夢ではなかったのかと思う。

実に不安定な格好で私はバランスをとっているところ。

そういえば極楽湯が撤退するそうだ。地下街の銀座ライオンが営業を終了する。6丁目のモスバーガーはコメダに代わり、自分ちのマンションは管理人さんが代わった。

前の管理人さんは入居当時からの人なので10年以上になる。先月だったか玄関先で出くわしたときにおはようございますと挨拶をして、その後会うことはなかった。どうやらその日が最終日だったようで、その旨の貼り紙に気付いたときはすでにいなかった。
なぜ、あのときひとこと言ってくれなかったのかと少し考えた。そんなものなのだろうか。
10年以上の年月を何の愛着もなく淡々と仕事をこなしていただけだったのだろうか。ほんのわずかだけれどこういうのを傷付いたと表現するのかとも思った。

現今の管理人さんが退職なさるときよりも私の方が早いのではないかと考えている。だからといって私は挨拶して去ることができるとも限らない。

マチュア世代の女性に、次の職・次の生き方をインタビューした記事を連載している企業のサイトがあって、大変興味深く読んでいる。
私の場合は長い時間をかけてじわじわと現役の仕事から退いて夜間の専門学校に通ったり、開店して閉店してパートに出るという経過をたどっているけれど、金銭的な損失の原因は、考えが浅薄だったからだ。
開店前後で具体的には1千万近くを捨てたような勘定になる。それでも今もなお時々、お店を持つとしたら、みたいなことを考えるだけでわくわくするのは本当に不思議だ。お客様商売は激しく苦手だというのに。

苦手なりのやり方というのは有るのだと思うけれど、マニアックであるとかニッチであるとかはそれなりの人口がある地域でないとなりたたないだろう。辞めてよかったと心の底から思うのでむしろ損失した金額で、現在に至るそこそこの健康を買ったと思えば有り難いとすら思える。

さてあしたからどうするかなあ。と伸び伸びするのもかなり楽しいことなのだ。