角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

財布の機会。

 

アンジュールのパンを買うためだけに外出した。
眼鏡を曇り止めクロスで拭くのを忘れたため歩行困難になるところだった。息をするたびに真っ白になるので日差しにテカテカ光る路面を歩くのは慣れているとはいえ危険だ。どうして肝心なことを忘れるのだろう。それがわたくしのクオリティといえばそうなのだけれど。歩きにくいので途中から外してしまった。外すと全体がまんべんなく見えなくなるので安定する。のか?
にもかかわらずひたすらパンを買いに急ぐ私が偉いのではなく美味しいパン屋さんが偉いのだ。

現金払いのみなのであいかわらず手持ち現金のない私は道すがら銀行によりつつ、財布の事を考えた。ひとつきくらい前に財布を買ったと書いたけれど、使い勝手が悪いために見えないところにしまいこんだ。次に薄くて小型の皮革製品を買った。カードが6枚入るしクリップがあるから紙幣数枚は保持できる。けれど小銭は入らないので小銭ケースを買おうかと考えてそれはまだwish listに置いてあるのだが。私は一体何が欲しかったのか、第一財布を使うシーンというのがそんなにないではないか。

実店舗で買物をするのはスーパーとかドラッグストアそれに先に挙げたブーランジェリー(パン屋さん)くらいのもので電子マネーで決済できるところはカードしか持っていかない。街にでて昔のようにデパートでお買物などということは地下食料品フロアをのぞいて皆無になった。私はウィンドウショッピングをあまり好まない。
財布を持って歩くことが非常に少ないことに気付く。だったら何もかも不要だったのではないだろうか。
と2個も購入してから気づく余裕の人だ、私は。バカなんじゃないかともう何度も何度も思ったので飽きてきた。

さて、貨幣経済は終焉するとか言う理論もあるけれどどうなんでしょうか。貨幣はシンプルで良いシステムだと思うので目に見えないものが増えていくことに危機感を覚えてしまう。
決済手段としての麻薬とか、経済活動としての犯罪とか、そういう本ばかり好んで読んでいるので実際に見聞きしたことがなくても、世界がそんなふうになっていると信じ込んでしまっているのでそこらへんの情報収集や学習にはやたら興味をそそられる。
人間がどこに向かっているのかどういった本質を持つものであるかということでもある。

おでんを温めなおして食べているおばあさんのところに差し向けられるヒットマン、みたいのって他者には笑いであっても本人にとっては無条件でこわいので、年越し用の本を少し多めに発注しようかと思った。