角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

満開。

 
お盆を目前にして、というかもうお盆なんだけど、その上、お盆とは何の関係もないのだけれど、どこかで見た文章があまりにも自分に適切だったので驚いた。曰く「人の財布で買物ができない」。
そこを基準に私の生活は仕上がっている。
  
それから最近気がついた、というより言葉にできたことは、私は自分の生活の表面積を少なくしたいということだ。絨毛突起のような生活は埃っぽくてうっとうしいと思った。
人との関係は淡白でありたいと願う。うまれてこの方私の人間関係はそうだった。半分淡い、というよりも九割方淡いのだった。もうどんどん希薄になっていくので、逆にどんどん濃密になってしかる後に唐突な別離があるよりも、いい傾向なのではないかと思う。
 
 
そんな中、おすそ分けメロンを持って息子が自転車でやってきた。007の若いQに似ていると言われたことがあるらしいけど、まあそんな糸のように細い息子が、2キロ太ったそうで頬の削げた感じもなくなり、こざっぱりとなっていたので、ありがたいものだと思う。息子は私などよりずっと家庭向きの人間だったのかもしれない。
 
彼女が猫を2匹連れて引っ越してきたのだけれど、あっという間に猫にも好かれたとのことで、いよいよ私と息子は、まるでそっくりだと考えていたのが、全然違う性質なんじゃないか。
 
私としては、本を一冊も読まない生活なんて、と一瞬思ったけれど、自分の該当年齢あたりを思うと、やはり本を読む時間は捻出できていなかった気がするので、いつか愚息にも再び本を読む日がくるだろうか。
 
 
あ、ついでなので一つ。例えばインスタントコーヒーの内蓋は全開するほうですか、スプーンを入れられる程度の穴を開けるほうですか。
私は必ず全開する。全部剥がして捨てる。それにスプーンは使わない。
これは「人の財布」と同じくらいに重要なことなので、何かこう、ちまっと小さい穴を開けただけ、みたいのが私としては全く性に合わないので、そんなのは人それぞれお好きなようにすればいいのだけれど、大変性分に合わない。仕事でいえば、えーと、書こうと思ったんだけど、面倒なのでいつかまた。
 
メロンは美味しうございました。