角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

春の太巻き。

 
かんぴょうを買いに行った。
鯛のでんぶを作り置き、さて椎茸とかんぴょうを煮ておこうかなと思ったらかんぴょうがなくて。
例年のこの頃は息子の誕生日やら連休やらがあって、どこかのタイミングで息子があらわれて巻き寿司を頬張るという一日があったのだけれど、息子は母を忘れただろうか。
まあいいや。
私のいわゆる「人嫌い」みたいな性質が今後はむしろ有難がられるかもしれないと思う。
  
巻き寿司は、写真を送って、本体は私が美味しくいただく。
 
ネットで見ると、週1で会っている人とか、不穏な事情がなくても十数年会っていない人とか様々だけれど、そういうことも含めて息子が結婚することの覚悟をした筈なので、お盆もお正月も独りですごす。そのために新たなパートを見つけようとしたのだし。
 
で、新しいパートは2回行って辞めた。
こう書くと私が何か異常性格のような気がしてくる。

そうかもしれないけど。

試用期間中なので、ちょっと合わないなと思ったら、なる早で引く方がいいと思った。
 
今すごい勢いで増えつつあるサ高住で食事を作る仕事だった。私は朝専属を希望し、オープン間もないので居住者数も少なく、満室になるころには私も仕事に慣れるだろうと考えていた。なにしろ独りで作業するところが大変気に入ったのだけれど、介護施設ではないので、常駐する看護師さんもいなければ、事務の人も休みの日には出勤してこない。
だから、平日なら9時頃まで、つまり朝食が済む時間までと、休日であれば出勤から退勤までの全時間を、完全に一人で過ごすことになる。居住者は別として。
 
そこで、大変不安になった。私しかいない時間に何か突発的な、例えば誤嚥などの事故が起こったら私は何もできないのではないかと。調理の人間なので、介護的サービスの必要は業務上はないけれど、とはいうものの放っておくわけにはいかない。
そのあたりが非常に不安だったので、辞めた。
 
ほんのわずかな経験だったけれど、おそらく年齢的にはそんなに変わりはないものの、あちら側にいる人々よりも、こちら側にいて働く方が、楽しいと思った。
  
 
ところで、私とアルコールとは何の関係もないけれど、上を向いてアルコールという本のタイトルがやたらと気に入ったので、これは自分で新刊を購入した。
タイトルほどの面白さはあまり感じなかったけれど、最後の方で「スマホを忘れたときの心細さは、アル中時代の焦燥感と同じ」と書かれていて、コミュニケーション依存の脅威に触れている。
 
私がスマホを忘れて難儀したというのは前回の旅行先での話であり、普段は持ち歩かなくても困らないし、それこそ旅行にでたときは、普段は毎日のほとんどをネットで費やすような生活でいながら、全くネット環境に触れなくても何の痛痒も感じない。尤も私はラインもツイッターもフェイスブックもインスタもしていない。
 
「自分の時間をすべて情報収集に費やしてしまう過ごし方は、アイデンティティの危機」だと書かれている。「なぜなら、情報収集している間、人間は頭を使わないからです。」とあって、これは本当に解る。また息子が登場して申し訳ないけれど、彼もまた以前、本を読んでいる時間は何も考えていない時間だと言ったことがあって、先ほど書いた通り、一日中パソ前ですごしたり、本を読みふけったりして暮らしている私は、ほんとうに何も考えていない人間だということがよく分かったので、ここで最近読んで本当に面白かった本を一つだけ書いておきます。スティーヴン・ハンター著「極大射程」です。