角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

日々の穴。

 

至る所に青山があれば、陥穽だってある。換言すれば、いたるところにあらゆるものがある。
アイロンが唐突に壊れてしまい、かれこれ30年以上使ったのではないかと表示をみれば2001年製とあったので、たかだか二十年足らずでこんな目にあうなんて。焼きゴテなら永久不滅ではなかったか。見たことないけど。
 
スチームの、コードレスでハンディタイプというのが現今の流行のようなので、一旦購入候補に挙げたのだけれど、良く考えたら、私はアイロンに湿式を求めてはいず、乾燥を強く望むものであるため、ドライのプレス式アイロンとスチームのものは、全く似て非なる製品なのだと気がついた。垂直と水平くらい違う。
 
先日はついうっかりと、ジェルインクのボールペンを1本洗濯機に混入させてしまい、新しいタオルとか、持ち帰ったパートの制服に染みがついた。のみならず、大切にしていたブルゾンていうかジャンパーっていうのか分からないけれど、要はポリエステルの上着の、前も後ろも落書きしたようになった。
 
残念で残念で、ためつすがめつしたものの無理なものは無理なので、秋の前に購入しなくてはならなくなり、落とし穴に腰までつかったような気分になった。
いつ購入したかまるで覚えていないので、5年も10年も経っているのかもしれない。そういうことは気にならないので、みすぼらしい具合にならなければ、好きなものは着続ける。
大切にしているといいながら、うっかり傷つけるというのは、誠実さを疑われる私の大きな欠点だ。悔しさの行き場所がないまま捨てられずにハンガーにかけたままだ。染められないものかと思う。ポリエステルも染色可能な薬品もできているし、染め代行サービスもあるけれど、染色行為は結構素材にダメージを与えるから、さすがに5年なり10年なり着古したポリエステル製品では、コスパが良いとは言えないだろう。
 
さて、服の話を書いたので次は香り。
 
いわゆる庭系と呼ばれるエルメスのトワレの評判が良く、昨夏、何を思ったか私は「李氏の庭」を購入した。金柑の香りが含まれているというのに心惹かれたし、静かな香りのイメージを持った。
しかしながら私には不似合いであった。
私は金柑らしさをあまり感じなかったし、第一、ゆうめいどころのフレグランスは押しなべて気合の入ったドラマチックな香りがするのだ。私にはそのドラマチックな感じが似合わなかった。
で、普段使いにしていたフツーのはまなすの香りをファーム冨田のオンラインサイトで購入した。
動物園に行くときは香りをつけてはいけないし、食に関わるパートにも私はあまり好ましいとは思えないので、一体いつ使っているのか分からないうちに、それでも1本は使い切ったのだ。
  
アイロンが壊れるんなら、もすこし香りは買わずに我慢すればよかったかなと思う。
「それさぁ、早く言ってよ~」って感じかな。
 
 
それで話は終わらなくて。
 
日々の穴につまずいて、それが命取りになるのは大変恐ろしいと思う。
働き盛りの年齢で、もちろん自業自得とはいえども、復帰可能な仕事を失い、収入を失い、治癒すべき重篤な依存症をかかえ、友人知人に愛想をつかされると、治癒の先に何か這い上がれる光明のようなものは見えるのだろうかと思う。
ほんの子どもの頃からその世界しか知らない人にとって、素に戻って見る世間は直視しうるものであるか、と考える。
つまり、絶望せずに生きていけるのかと思う。もしそれが自分の身におきたことならば、どうするかと考える。
どう這い上がるかを考えることは総ての人に必要なことだと思うし、たぶん、親が子に教えることや、教育の役割というのは、ここらへんだと私はいつも思っている。もちろんその前に犯罪行為はしないのが前提なのだけれど、何も教えられなかったり、考えないままにいい年齢になった大人は独りで気づいて独りで考えられるものだろうか。