角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

夏もそろそろ。

 

駅の方の商店街に行ってみる。ウォーキングは大事だけれど炎天下を歩きたくはないので地下街や商店街を徘徊する。エスカレーター上から眺めるとさまざまな服やものに溢れているものの、あまり興味が持てず、ああそういえばあのようなお姉さんっぽい服装をしなくなったなあと振り返るけれど、そもそもそういう服装をしていたのはほんのいっときの事だったように思う。
 
今となっては欲しい服や欲しい靴、欲しいバッグが殆どない。
毎年何回かは捨てるものがあるので補充の必要に迫られても欲しいものを探すのに苦労する。また私には時計貴金属の類は心底無縁だ。ピアスの穴もとうに塞がった。でもスニーカーは欲しいし、からだにあうデニムも探しているのでカジュアル以外のなにものでもなくなったということだろう。
自分の暮らしのなかでカジュアル以外のシーンをみつけられない。
 
上階に行くと、もう長い事忘れていた書店があった。かなり広い。
当地の夏はそろそろおしまいに近づいているのでせめて夏らしい本をと思い、タイトルも素敵だったので「君が夏を走らせる」という文庫本を購入してみた。ストーリーは幼児とのかかわりがメインで、それはそれで楽しいのだけれど、不良少年だった大田君の中学校の部活の上原先生が「大田君の走る場所は中学校にはないよ」と言い放ったところで私はぴしっと背筋を伸ばされた気持ちがした。こういう一行がものすごくいいと思ったし、もしかしたらこの本の芯なのではないかと思った。
高校生の大田君が、中学校の陸上部の練習をたまに見に行ってやろうかと言ったときの上原先生の言葉だ。走る場所は今まで通ってきた場所じゃなくて、これから先にあるってこと。と上原先生は言った。もうこれだけで私は十分だ。夏の終わりに良い本を読めて良かった。
 
リストアップしてある本から少しずつ月に一度まとめ買いしているけれど、それ以外に実店舗に行く楽しさはやはり必ずある。

しかし自分の場合は、本を読むということがただ他人の仕事を見ているだけのような気がする。読めば読むほどに他者の仕事を傍観しているだけになるような気がしてきたので、どうしたものか。