角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

赤飯2018

 
赤飯は何度も作った。炊くのではなくて蒸し上げる方を。
 
2月の母の命日は、母の誕生日でもあったのだけれど、買物をし忘れたのでパス。
息子の誕生日にでも、と思ったけれど、もうそんなふうに私の家に一人でやってくることもないだろうと却下。
3月の節句の日に作って、やっぱりそれから毎日食べた。
 
赤飯とは何の関係もないのだけれど、視力の衰えた母が、自分で縫製するのを諦めて既製品のコートを購入したことがある。私が高齢になっても着られるようにと、少しいいものを買ったらしい。母がそれを着たのを1度くらいしか見たことがない。

年代的に、私が着てももう構わないのだけれど、しかしながら、いろいろ気に入らず、生地だけが良いというものなので、捨てるに捨てられずずっと困りながら保存していた。
それをきのうリメイクのところに持参した。両家の顔合わせの時にちょうどいいと思ったからだ。シルクは通常の1.5倍と言われつつ、気になるところを全部直すと驚きの金額になり、新品のいいものが買えてしまう金額であるため、一部を直すだけに妥協した。私が主役ではないので季節に相応しければそれでいいだろう。
 
食事会の服装はカジュアルで、と厳命された。そういう場でのカジュアルというのは普段着という意味ではないから、何にでも使えるスーツで不祝儀以外の何もかもを凌いできた私には、もはや何もないので少し困った。
雪がまだあって汚い時期なのでパンプスが履けないけど、長靴ってわけにもいかないし。
 
もうひとつ彼らの条件に、手土産禁止、というのがあって可笑しかった。そんな気遣いを私はしない。なにしろ同一市内なので「白い恋人」を交換する羽目になるかもしれないし。
 
そんなわけで、息子の結婚を控え、私はなにひとつ忙しくはない。美容院にも行かない。
 
私に孫ができる可能性ができてしまったことに関しては、これはどうしたものだろう。いまのところ特に興味がないのだ。
 
巷間では、結婚して豹変した息子、結婚して音沙汰のなくなった息子、電話一本よこさない息子等々、息子百態のような記事があるけれど、これもなるようにしかならないので、私は今まで通り静かに淡々と暮らす。
あまりおおっぴらに言うことではないけれど、母親にとって息子の結婚は葬式だと思え、というような至言もあるらしいので、いやその意味は分かるけど。
 
だから、というのも強引な話だけれど、お近くにお母さんがいる人は、どうぞ足繁く顔を見せてあげていただきたいと思う。