角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

ゆっくり育つ。

 

知人の小学生の子が、塾や習い事でほぼ1週間埋まっていると聞いたときもかなり驚いたけれど、今どきは未就学児童にも相当な習い事をさせている家庭があるらしい。
 
もうはるか昔の話になってしまったけれど、自分のこどもが小さかった頃は、特にこれといった方針もなく、ゆっくり大きくなって欲しいと考えていた。
子供時代は楽しいにこしたことがないと考えていたから、遊びたいだけ遊ばせようとしていたが、ある日ためしに「勉強はしないの?」と聞いてみたところ、間髪をいれず「しない」ときっぱり答えたので、ああそうなのとしか言えなかった。
 
私は、この世の中に英語というものがあって、中学校では英語の授業がある、だなんておそらく一言も言ったことはない。
その甲斐あって、中学に入ってややしばらくdとbの区別がつかなかったようだ。dasketdallと書いていた子だ。どっちか分かんないんだよね~とゲラゲラ笑うので、私もそれは困ったねとゲラゲラ笑った。
 
でもあまりにも自宅で勉強する習慣がないので塾に通わせると、先生も良い方ばかりだったようだし、友達が集まるので、夜遊び感覚で嬉々として通った。まだまだ子供らしい遊びは続き、雪遊び(笑)で眼鏡を壊したりしてきた。人に言うと、中学生にもなって、と驚かれた。
 
一度だけ、もっと小さい時に四谷大塚だったか、を見学に行ったことがあるけれど、即座に泣きそうな顔をしていやだというので却下したことがある。
 
私は本気で大器晩成ということばを信じてきた。ゆっくりつけた筋肉はなくなるのが遅い、ということも知っている。それになんといっても私の子である、という理由だけで、この子は大丈夫だと信じていたのだ。かっこいい母親なのではなく、自分の忙しさにかまけて放置していた側面の方が大きいかもしれないけれど。
 
幼い子供たちが遊ぶ時間もなく、何かをしなきゃいけないというのが不憫に思われる。親御さんたちの理屈も気持も、よく理解できるとはいえ。
 
子供の時の毎日は飽き飽きするほど長く、時に退屈だったりして、その中でいろんなことを考えて遊びの工夫をして、時々は妄想に入り込んだりしながらゆっくり大きくなるものだと私は思っていたから、ゆっくり大きく結晶すればよいと願っていた。
 
果たして母親存命のうちに結晶するんだろうか。
 
私自身は、熟れないうちに腐った感じなので、こどもにばかり過剰な期待をおしつけるわけにはいかない。