角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

山の雨。

 

さて本日は3年ぶりの墓参を。モアイ像は変わらず立ち尽くしていたし周囲の折り重なる山々に雲がかかっていたし、大いに落ち着く場所だった。造成は何年も続き、いまだ建築機材が入っているからこれからまだ相当年数をかけて完成に近づくのだろう。
立地と景観は素晴らしいと思うけれど、墓所が増えるにつれて当然ながら車も増えた。園内を徒歩でお参りするのは広すぎて無理なのだから仕方がないのだけれど、駐車場以外の道路のあちこちに車が連なっているのを見ると車両の墓地であるかの錯覚をした。

小さいこどもなどは自分ちの車から降りると非日常にはしゃいでしまうらしく、園内バスも運行しているおりから結構危ない。路線バスもときどき園内を巡るのだ。
霊園へのアクセスということではなく、園内の行き来に何か画期的な仕組みがあれば良いのにと思う。


車を持っているときは年に何度もきた。バスでも何度もきた。何度きても全く道が分からない。心の底から分からない。歩くわけではないので分からなくてもいいのかもしれないけれど、路線バスなり園内バスの時刻に合わせてしか動くことができないのは不便だと思う。バスに乗り遅れたりはぐれたりすると、どうしていいかわからなくなる。


何しろ時間を過ぎるとお墓しかないので生身の人間とすれ違うことなんかない。管理事務所に連絡をしたところで、自分のいる場所を説明できないかもしれない。
しかしながら通年でおたのしみに来る場所でもないので、いっそモアイの湯とか墓の湯とか名付けて温浴施設でも設置されたりすると私などは一年中通いたい場所になるだろう。なにしろ広くて美しい。墓石ギャラリーもある。

私も母と同じこの場所に、通うどころか永眠するつもりだ。そんなに遠い話ではないだろう。

 

自然の景観は堪能したい。アクセスは便利でありたい。車で行きたいけれど車が景観に入り込むのはいやだ。
相容れないことを欲張りすぎると破滅するんだろうね。論理破綻して爆発するんだろうね。知らんけど。


園内では何度か雨に降られたことがある。きょうも天気予報には傘マークがなかったのにいきなり雨が降りだした。山の雨は音も美しい。大仏様も濡れそぼつ。
山を離れるにしたがって雨は上がった。自宅付近では雨が降らなかったようだ。