角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

坂道を行く。

 

父親のお墓は平岸霊園という高台にあって、地下鉄を降りてから緩い坂道を歩いていく。母と息子と3人で歩いたこともある。母が、いつまでこの坂道を歩けるかなと言ったのを思い出した。私もそう思ったからだ。
 
この時期にお参りする人はいないらしく、誰にも会わなかった。
父方の祖父も祖母はじめ親族が入っているけれど、大体行くたびに墓碑銘が増えている。父の兄弟が全員そこに入っているかというと、そうでもなくて本州住まいの人たちはいない。

母は晩年に、そこには入りたくないと言ったので、母はモアイのところになったのだ。父と一緒でなくていいのかと聞くと、極めて現実的な返答をしたので、好ましく思った。でも母がそう言ったのは私に配慮したのではないかとも思う。
 
勝手に母を入れるわけにはいかないだろうから、親類に連絡をしなければならなくなる。私は父方の、おじおばいとこたちとは没交渉なので、連絡をしたりするのは大変いやだったのだ。

私がこどものときから、父方の親類に何と言われていたかを考えると、どうして進んで付き合いができるだろうと思う。一体何と言われていたのかは、知らない(笑)。

私は子供の頃からたやすく人に懐く性分ではないから、父に連れられて親戚の家に行っても、こどもらしく話をしたり遊んだりしなかった。だから人前で話もできない、こどもらしくない子供、全然駄目な子よばわりをされていたらしい。
それを私は自分が小学生の時から分かっていて、ますます話をしたくもなかったし、何一つ楽しくもなかった。それなのに父は私を連れ歩きたがったのだった。ちっ。
 
まだ母が存命中は父方の親類と微かなつながりは残っていたかもしれないけれど、母がいなくなると母が持っていた住所録を私は捨てた。
母の葬儀は、母方の親戚にだけ知らせた。そのことについて、従姉の一人が、わたくしを非常識だと言ったので、大きなお世話だと思った。

人の常識は私の常識ではないのだ。たいていのことなら常識的に済まそうとしているけれど、それ以外のところで私は常識を疑うことがしばしばあって、たちどまって考える。その結果としての行動が常識的でなかったとしても、非常識とも思われたくないし、いわば確信犯アピールをさりげなくしたいという気持ちもあって、私の子供時代からこれまでというのは実にそのせめぎ合いの歴史だった。
 
息子なんかは私のことを仕事一辺倒であまり常識的でない人という見方をしているらしいので、常識をまずは一度疑って吟味してかかれ、という私の言いたいことが全く伝わってない。
私を反面教師にしたのか、いやに常識的な言動の人間になってしまった。
 
さて、あとは元夫の墓参。お墓参りというのは、つくづく自己満足の行事だと思う。