角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

ジャガイモの名誉。

 

あ、調理方法如何で、こないだのジャガイモは美味しい。不味いとけなしてごめん。
 

ジャガイモで思い出したけど、離婚した夫は、なんとかという古い女優が大好きで、私を見たときにそっくりだと思ったんだそうだ。
 
女優の誰それに似ていると言われたことが何度かあるけれど、実に、その女優さん名が重複することは一切なくて、おまけに断言できることだけれど、似てると言われた誰一人にも私は似ていないし美人でもない。
だから人は自分の見たいようにしか私を見ないと言うことが分かったし、誰ひとりも正確に私を見たわけではないことも分かった。
 
第一、ほんとに誰かに似た美人なのだったら、いるかいないか分かんない人ってことはないだろう。私は存在感のない人間だ。それで、途中でいなくなることが得意だったりする。
 
先日の通夜も賑やかな宴会めいた場になると、そっと退席して控室で本を読んでいた。少し涼しくてタオルケットをかぶっていた。静かなのは私とほとけ様だけだったかもしれない。
 
通夜の叔母は大層元気でいつもよりたくさん喋った。母の悪口を聞かされた。別の叔母Aと母は特に仲が良くなくて、母が亡くなってせいせいしているというようなことを言われた。
以前、母が亡くなったあと、本州の叔母A宅に立ち寄った際にもさんざんな言われようだったと日記に書いたけれど、一体この人たちは寄ると触ると、母の悪口を言うのだろうか。特に私はブチ切れたりはしないし「事勿れ」とぼんやりしているだけだけれど、そんなとき、自分自身が分からなくなる。
 
私は父と母の言葉や振る舞いを良しとして育った。だいぶ昔に親が完璧であろうはずがないことは気づいたとはいえ。少なくとも母は、真面目でしっかりした人間だったし、あさましい考え方をする人でもなかった。おおらかとは言い難かった。叔母たちが言っていることは、要は堅物の母が小言や文句ばかりを言う、怒ってばかりいた、ということなのだけれど、それは原因があっての結果だろう。
 
あと何回私は母の悪口を聞かされるんだろう。と、自宅に戻ってからリストを作って年齢順に並べ替えた。
一応義理は果たすつもりだけれど。
  
私は怒った方が良かったんだろうか。真剣に怒りを表現できる気がしないし、私が、それなりに母を認めているのだからそれでいいような気もするし。
 
 
それはそうと、先日の晴れた日に元夫の墓参に行ったのだけれど、なかった。というか見つけられなかった。毎年行っているというのに、一体何が起きたんだろう。私に原因があるのかもしれない。これはこわい。仕方がないので、道の駅でリンゴを買って帰った。